こんばんは!ナビゲーターのビー玉です。
今宵は、【大人の美術館】へようこそ。
本日の題材はエゴン・シーレの「死と乙女」
シーレに尽くして支え続けた運命のミューズ(女神)を失っても欲しかったものとは?
シーレと彼の人生を切り開いた運命のミューズ「ヴァリ」について読み解きます。
よろしければ、最後までお付き合いください。
エゴン・シーレ作 「死と乙女」
エゴン・シーレ 「死と乙女」1915年
オーストリアギャラリーベルヴェデーレ所蔵
「死と乙女」というのは、昔から画家や音楽家たちによって作品化されてきた人気の題材です。
病床で苦しむ乙女の前に死神が現れ、「私はあなたを苦しめるために来たのではない、あなたに安らぎを与えるために来た」と囁きます。
若くして死ぬという「恐怖」から、言葉巧みに甘美なる冥府への誘いを拭吹き込む・・そんな死神と乙女のやり取りに、芸術家たちはエロティシズムを感じたのでしょう・・・
そんな人気のテーマである、「死と乙女」の名を冠した、この作品。
積極的な乙女に対して逃げ腰な死神と、世間では言われていますが、死神は女性を見つめて、女性は死神を見ていません。
この説についってはずっと違和感がありました。
定説とは少し違う私の見解は、後程・・・
エゴン・シーレ『自画像』1912年
死神のモデルは、画家本人である「シーレ」。
そして、乙女のモデルは、シーレの恋人である「ヴァリ」。
エゴン・シーレ『ヴェリの肖像』1912年
シーレはクリムトの数少ない弟子で、私の独断と偏見による「勝手にゲスな画家ランキング」では・・・
1位 パブロフ・ピカソ
2位 エゴン・シーレ
3位 ダンテ・ガブリエル・ロセッティ
はい! エゴン・シーレは堂々の第2位です!!
とりえず、簡単にゲスエピソードを並べてみましょう!!
●16歳の妹をヌードモデルにして、かなり際どい絵を描く
●近所の子どもを言葉巧みに誘い、性がテーマである絵のモデルにする
●13歳の少女を誘拐し、猥褻行為(ヌードモデル)に及んだ疑いで逮捕
●シーレを献身的に支え、芸術的ミューズであったヴァリを裏切り、安定の為に別の女性と結婚
●その妻の姉と不倫
う〜んゲスだぁ(;´д`)トホホ
痛みを感じるエロ
エゴン・シーレ『裸体の女性』1917年
クリムトの弟子ですが、作風はクリムトが「陽」ならシーレは「陰」、クリムトが「金」ならシーレは「銀」と、まるで対象的です。
とても綺麗とは言えない
むしろ観る人によっては「汚い」と映ってしまうことも多いであろうエゴン・シーレの絵。
あなたは、こんなゲス野郎の絵を好きになれますか?
私は・・・好きなんですよね。
正直、シーレの描くエロスは赤裸々すぎて、ここで紹介できるものは、殆どないと言っても過言ではないほどないw
気になる人は、「エゴン・シーレ」で画像検索してもらえたら、痛々しいまでの性の描写盛りだくさんの絵がヒットするので、よろしければ。
会社のPCとかでこっそり見てる人、すいません(汗)
でもシーレとしたら、まだまだ全然無難な作品なので、許してね( ノД`)シクシク…
彼の絵をポルノだという人もいるけど、痛すぎて全然楽しめないと思う。
シーレの父は、梅毒(性病)に脳を侵されて、最終的には精神錯乱状態で亡くなります。
梅毒はシーレの母にも罹患し、そのせいで兄弟を4人も亡くしています。
シーレ自身も、いつ兄弟と同じように亡くなるかわからない・・・そんな恐怖を抱えていました。
シーレにとって、性と死は直結してるんです。
おそらく、性的なものに恐怖と憎しみさえ抱いていたハズ。
それが大人になるにつれて制御できなくなった性欲とリンクし、酷く苦しんだ・・・という記述も残っています。
苦しんだ末に見出した解決策、それが彼にとっては絵画だったのでしょう。
その痛みと恐怖を絵にぶつけることで、精神のバランスを保っていたのではないかと思います。
まだ年端もいかない未成熟な少年少女を描きたかったのは、そんなアンバランスな時期を描き写したかったからなのでしょう。
私も少し恋愛不信なところがあるので、彼の描くものを見るとダイレクトに胸ぐらを掴まれたような状態になり、激しい痛みを伴います。
でも、目が逸らせないんです。シーレには惹かれるけれど、あまり直視したくない画家の一人です。
シーレとヴァリ
クリムトのポートレート
シーレの作品は、今観てもかなり刺激的な作品群です。当時の風当たりも相当な強さだったと思うのですが、その彼の才能をいち早く見抜き、援助を惜しまず後押ししたのがクリムトです。
クリムトは当時、自分のモデルをしていたヴァリをシーレに紹介します。
おそらく、ヴァリは自分よりもシーレに合うモデルだろうと分かっていたんだと思います。
そんなクリムトの読みは当たり、ヴァリはシーレに献身的に尽くし、どんなポーズも厭わず、シーレの芸術の理解者となって生活のすべてを支えます。
そんなヴァリと生活している時期に、次々と後世に残る作品を描き上げているんだし、間違いなくヴァリはシーレのインスピレーションの源、運命のミューズだったんです。
なのに!!なのにですよ・・・名声を手に入れるとシーレは変わり、シーレの根幹である「痛み」を捨てて安定を求めるんです。
安定を求める結婚
結婚相手に選んだのは、きちんとした教育を受けた中産階級の女性。
いや、その女性と恋に落ちてヴァリを裏切るってんなら分かるんですよ(((uдu*)ゥンゥン
恋愛って理性ではどうしようもない時ってありますから・・・
だけど、シーレのスタンスは「姉妹のどっちでもいいから結婚して」でした!!
シーレが目を付けたのは、1人の女性ではなく姉妹・・・そう、「中産階級の娘」という安定と安心感だけだったんです。
姉妹のどちらとも肉体関係を結び、姉が身を引いたので、妹と結婚しました。
その妹が「ヴァリと別れてくれないと結婚しない」と言ったので、シーレはヴァリに手紙を書きます。
「君とは結婚できないけど、こっそり関係は続けよう・・夏には一緒にヴァカンスへ行こう」
はい、ゲスですね。間違いなくゲス(゚д゚)ケッ
夏には一緒にヴァカンスへというのは、 師匠であるクリムトが最愛の女性エミーリエとの関係を見習ってのことでしょうが、シーレの思惑は外れます。
ヴァリはシーレの申し出をきっぱりと断り、従軍看護師として戦地へ赴きます。
クリムトの愛の物語はこちら↓
性からの解放
そんなヴァリとの別れ際に描かれたのが、冒頭の「死と乙女」です。
死神と共に行きたいという気持ちとは裏腹に、乙女の両手は軽く結ばれているだけで、すぐにでも解れる状態。
乙女の顔は死神を見ておらず、こちらを見据えている。
まるで絵の世界からこちらに来ようとしているみたい。
この切ない抱擁は、別れの挨拶のようにも見えます。
死神の右手は乙女と距離を置こうと遠ざけている、定説ではそう言われていますが、私には去り行く乙女を押し留めようとしているようにも見えるんです。
もう一度絵を観てみましょうか?あなたにはどう見えますか?
こうやって妄想するのが絵画鑑賞のイチバンの楽しみです。
死神に「蹂躙(じゅうりん)」されるはずだった乙女は、ギリギリで死神の手をすり抜けます。
残された死に神の腕に残ったものは虚無?それとも・・・
シーレは「性」を憎んでいたと思います。
そんな「性」の対象であったヴァリを本当に愛せていたんだろうか?
ヴァリを愛しながら、同時に蔑みも感じていたんじゃないかと思えます。
ヴァリが自分の思い通りにならず、きっぱりとシーレの元を去ってしまったことで、初めてヴァリに対する精神的な愛を見出せたんじゃないかと思えるんだけど・・どうだろう?
その後、ヴァリは戦地でひとり、亡くなります。永遠に、シーレの元にはもどりません。
「生」を生きるはずだった・・・
シーレはヴァリと別れてから結婚した後、こんな絵を描いてます。
エゴン・シーレ『エーディットの肖像』1915年
妻のエーディットの肖像です。
シーレの特徴であった「痛み」は完全に消失
だけど、やっと「性」から解放されて、「生」を描き始めたのかな?という風にも取れる。
子どもが生まれて本当に愛すべき存在ができたら、きっとシーレの絵も変化していったと思うんだけど・・
ヴァリへの本当の愛情も形(絵)にできたかもしれない。
だけど、シーレはスペイン風邪にかかり、28歳の若さで呆気なく此の世を去ります。
後世に残されたのは感情的に描かれた痛々しい性描写のみ!!怒りを込めた「性」から解放されて、大人になったシーレの絵も見てみたかったなぁ・・・それが残念でなりません。
本日は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございます。
当ブログの更新は毎週土曜の深夜を予定しています。また来週(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ
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