藤田嗣治の絵に影響を与えた5人のミューズ(女神)たち

20世紀美術

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こんばんは!ナビゲーターのビー玉です。

本日は日本人としてパリで大成功を果たした藤田嗣治とその妻たちにスポットを当てた回顧展です。

藤田嗣治はモデルに性的関係を強要するということはありませんでしたが、5度の結婚(事実婚含む)をしています。

5人の妻たちは藤田嗣治の画家人生にどんな影響を与えたのでしょうか?そんな藤田の人生にナビゲートします。

よろしければ、最後までお付き合いください。

 

藤田嗣治(レオナール・フジタ)の略歴

世界で最も有名な日本人洋画家といえば藤田嗣治でしょう!

まるで陶器のようだと称された彼の裸婦は「乳白色の肌」としてヨーロッパで大絶賛されました。

藤田嗣治は1886年11月22日に東京牛込陸軍軍医の4男として生まれ、芸術にも理解がある裕福な家庭で金銭的には何不自由なく育ちました。

ただ5歳の時に母を亡くし、姉を母代わりに育ちます。

母の愛に恵まれなかった男性というのは、無性の愛を注いでくれる理想の母親像を求めて女性関係が派手になりがちです。

藤田も例にもれず女性の陰が絶えない画家でした。

特徴的なおかっぱ頭にロイドメガネ。耳にはピアス。ユニセックスなスタイルなのに体は意外とマッチョ。

パリではフーフー(お調子者)と呼ばれ、なのにお酒は一滴も飲めない。

 

ビー玉
ビー玉

萌え要素しかない

館長
館長

ただの個人的な好みですよね?

いや・・・私の経験上、お酒の飲めないお調子者は二面性を持っている人が多く、彼女にだけ見せる意外な姿という萌え要素強め!

藤田はキュビズムから写実までを自在に操れる抜群の画力とセンスを持っていました。

私は藤田がレンブラント風とかピカソ風とかマティス風とかって藤田が別の画家たちの作風を真似て描いた作品をみたことがあるんですが、それぞれの画家の作風を見事に捉えられているのに、それでもちゃんと藤田嗣治の作品に見えるってのが不思議で!

器用で人を楽しませることに長けていて、隠しきれない才能もあったんだろうなって・・・そんな人がモテない訳がないんですよ(((uдu*)ゥンゥン

ほとんど間隔を開けずに結婚したって・・バツ4だってしかたなし( ✧Д✧) カッ!!

 

館長
館長

いつもゲスだカスだ騒いでるのに、藤田氏には優しすぎませんか?

ビー玉
ビー玉

ファンなので仕方なしです。カスは言ってませんw

 

まぁ少々フーフーがすぎますがwww

 

18歳で東京美術学校西洋画科を卒業

26歳でパリに留学

留学時はすでに結婚していましたが、藤田は妻を日本に残して単身パリへ旅立ちます。

最初の妻は美術講師だった鴇田登美子(ときた とみこ)

 

最初の妻、鴇田登美子 (ときた とみこ)


国内の旅行先で出会って結婚します。

自画像 1910年

2人は新宿百人町で暮らし始めますが、わずか半年ほどで藤田は新妻を置いて単身パリへ留学。

当初の予定では3年の予定だった留学ですが・・・

パリで生涯の親友となるアメデオ・モディリアーニと出会い、彼を通じてパスキン、パブロ・ピカソなど芸術の最先端をいく尖った芸術家たちと交流を深めていきます。彼らとの出会いに刺激をうけたのか、17年間1度も帰国することなく登美子とは結婚後1年ほどで離婚しました。

渡仏する前の藤田の絵はわすか10枚ほどしか現存しませんが、そのうちの1枚は最初の妻だった登美子の実家から2017年に発見されました

藤田嗣治『榛名湖』

2人でスケッチ旅行へ出掛けた時に描いたであろう『榛名湖』

そして、登美子と別れてほどなくして藤田の画家人生を大きく変える女性に出逢います

2人目の妻 フェルナンド・バレエ

藤田がフェルナンド・バレエに出会ったのは1917年。

フェルナンドは娼婦として生計をたてつつ、藤田の親友であったモディリアーニ のモデルをしていた時に藤田と出逢い、13日後に電撃結婚∑( ̄□ ̄;)ハヤッ

アメデオ・モディリアーニ『フェルナンド・バレエの肖像』1917年

そしてこのフェルナンドこそが藤田を成功に導いた女神です。

全く売れなかった藤田の絵をパリ中の画商に売り込んで回りました。この頃の藤田の絵は売れても7フランほど・・・

藤田嗣治『2人の少女』1918年

当時は、このような闇系少女の絵を描いていました。うん怖すぎるw

センスは感じますし好きですけど、右上にもう1人いそうだし・・部屋の壁に飾りたいかっていうと・・・ねぇ(^▽^;)

パリに出てきたばかりの不安感がこのような闇系少女の絵を生み出したのではないかと思います。

無名な画家の陰鬱な絵を売り込むのはなかなか難しかったと思いますが、フェルナンドは根気よく売り込みを続けます。

そして・・転機が訪れるんです!

パリを熱狂させた乳白色の肌


藤田嗣治『寝室に横たわるキキ』1922年

藤田作品の代名詞ともいえる「乳白色の肌」の確立!

画像では伝えきれませんが、実際にみると暗闇に灯るロウソクのように幽玄なのです!!まるで自らが発光物のような不思議な「乳白色の肌」

東西の文化が融合した陶器のように滑らかな肌で描かれる妖艶な裸婦にパリが熱狂しました。

この独特の白の下地は長年謎とされていましたが、最近の研究では下地に「タルク」を混ぜて使っていたことが分かりました。

ちなみにタルク(滑石を粉にしたもの)っていうのは、ベビーパウダーの主原料です。藤田が使っていたのは和光堂の『シッカロール』なんだとか!

ちょっと身近な感じがしますね(^▽^;)

(画像出典:Amazon販売ページ)

この「乳白色」を生み出したことで藤田は一躍人気画家としてパリで認められます。

7フランたらずで取引されていた藤田の絵は一気に8千フランまで跳ね上がりました!

ただ・・唯一無二の画風であっても、画商の目に留まらなければ絵は売れません。異国人の藤田が生前にパリで人気画家になれたのは、営業を一手に引き受けたフェルナンドの功績に他なりません。

藤田にとって幸運の女神だったフェルナンドですが、夫のアトリエに出入りしていた日本人画家の小柳正と不倫。

藤田はこれを許さず離婚。

ただね・・これまでも夫婦ともに公認の愛人がいたくらい性に奔放な夫婦だったんですよ!

なのに、なぜ小柳正だけ許せなかったのか?「同じ日本人だったから?」とか「相手がイケメンだったから?」なんて問題視されたりもしますが・・・

たんに次の妻になるユキに愛情の比重がうつったからなんじゃないかなと思ったり。

悲しいですが、愛は永遠ではないですからねぇ

 

雑誌アート

全盛期を支えたミューズ「ユキ」

藤田が2番目の妻フェルナンドと別れた翌年の1929年に結婚したのがリシュー・バドウ、通称「ユキ」

美貌と才気で画家仲間の間でマドンナのような存在だった女性です。

藤田はそんな彼女を「バラ色の雪」に称えたことから「ユキ」と呼ぶようになりました。

彼女との結婚生活はたった2年と短かったんですが、この頃に描かれた裸婦が好きなんですよね(((uдu*)ゥンゥン

藤田嗣治『ユキと猫』1923年

まるで幻想のように、触れると消えてしまいそうだった裸婦に血が通いだします・・・滑らかな肌には体重も肉感も感じられ綺麗です。

パリに受け入れらたことで、パリで暮らす女性を生身の人として接する自信が出てきたのかもしれません。

絵の中に猫も頻繁に登場するようになるのも猫好きとして嬉しい(*´﹀`*)

だけどユキとはわずか2年で破局。

原因はまたしても妻の浮気Σ(‘◉⌓◉’)

そして1931年にほとんど全ての作品をユキにゆずり離婚。

ユキが原因で別れたのに、なぜ作品を渡したんだろうって不思議ですが、藤田にももう次の相手がいたので、揉めずに別れたかったのかもしれません。

雑誌アート

謎の死を遂げた4人目の妻 マドレーヌ・ルクー

ユキと別れた藤田は同年1931年に南米を旅し、現地では旅費を捻出するために作品を制作して個展をひらきつつ約2年後日本に戻ります。

南米の風土や文化に影響を受けて、藤田の絵はすこしずつ色彩を増していきます。

その南米の旅に同行したのがマドレーヌなのです。金髪が美しい人だったようです。
藤田嗣治『仰臥裸婦』1931年
日本にしばらく滞在したマドレーヌですが、異国の生活に慣れず藤田を残し単身フランスに戻ります。
その間にフジタは運命の人に出会ってしまうんですよ・・後に5人目の妻となる君代です。
2人は四谷左門町に部屋をかりて一緒に暮らし始め、それを知ったマドレーヌは怒って再来日、そこで悲しい事故が起こります。

なんと藤田の実家の浴室でマドレーヌが亡くなってしまうんです。

アルコール依存や薬物依存が原因かと言われていますが、真相はわかりません。

だけど藤田と君代のことを知って、発作的にアルコールや薬物の摂取が増えたとしてもおかしくありません。

藤田はメンヘラ製造機?メンヘラほいほい?

出会った女性が不倫をしたり不幸になっていく・・もしかしたら、藤田はメンヘラほいほう、もしくはメンヘラ製造機だったのかもしれないなって思います。(メンヘラとはメンタルに少々問題を抱えた状態をいいます)
異国での不安な気持ちが過度なサービス精神とパフォーマーとしての『藤田嗣治』を作り上げ、フランスを象徴するよな女性たちと浮名を流しながらもどこか埋まらない気持ちがあったんじゃないでしょうか・・・
過激なキャラを装うことで、不倫を繰りかえす妻たちに「これぞパリ」と言わんばかりに何も言えず、何も言わないことが女性たちをさらに不安に陥れていくという悪循環。
適度な嫉妬は女性を安心させることもある!
館長
館長

だからと言って不倫していいものはないですけどね。

藤田の描く女性はどこか不安げです。
藤田とマドレーヌは正式な結婚はしていませんでしたが、マドレーヌの遺体は妻として霊園に埋葬されました。
そして藤田50歳にして、ついに等身大で付き合える女性と巡り合います。

最後の妻 藤田(堀田)君代

1936年に藤田と結婚し、30年以上を添い遂げた最後の妻君代です。

戦時中、陸軍にゆかりが深かった藤田は軍の意向で戦争画を描いたことで、戦後はその責任を問われ逃げるように日本を去ります。
君代とともにフランスに帰化した藤田はカトリックの洗礼を受けて、以降レオナール(レオナルド)・フジタと洗礼名を名乗り、生涯日本にもどることはありませんでした。
藤田嗣治『魅せられし河:香の夢』1951年
晩年の絵の題材は裸婦でなく宗教画や猫、子ども(少女)へとかわり・・
その多くは裏に「キミヨ コレクション」と署名されており、自分の亡き後に夫人が困らないよにとの配慮からでした。

そして子どもに帰る・・・

晩年は少女の絵をたくさん残しています。
この少女の絵のモデルって誰だと思いますか?
この絵を見た時に確信したんですけどね・・・
私は藤田嗣治自身ではないのかって。
20歳以上も年下の君代夫人ですが、藤田にとっては理想の母親像だったのかもなって思ったりして。理想の母のそばで子どもに帰る藤田。
たくさんの女性を不幸にしちゃいましたけどね・・・
だからこそ藤田は少年ではなく、性別を超えて汚れを知らない少女に戻りたかったのかもしれません。勝手だとは思いますが・・弱い人間ほど愛おしくもあります。
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本日は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございます。
また来週、御来館をお待ちしております。
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コメント

  1. スマイル より:

    ビー玉さん、ご無沙汰しています。
    藤田嗣治は5度の結婚!すごいですね!
    私は坂本龍一煮似てる!なんて思ってました。藤田嗣治の絵!あの絵だったんだあ〜とびっくりしました。
    美術館に行きたいんですが…なかなか
    行けないです。

  2. 「二人の少女」の説明で爆笑。。゚(゚^Д^゚)゚。ギャハハ

    君代さん…ちょっと厳しそうに見える…だからこそ、母像と被ったのかな?

  3. ヨウコの川歩きw より:

    藤田嗣治だぁ!藤田嗣治展は2回行きました(*´ー`*)かつて仕事で扱っていた中学校の教科書に自画像が載っていて、「なんだ?この前髪のおっさんは」って思ったなぁ(笑)その後、日本人でパリで成功した藤田だと思い出し、改めて絵を見たらその独特の美しさにコロッとなりました。本物は更に美しかったですよね。それにしても5人も妻がいたのね。最後の君代さんしか知らなかった。彼女も異国で苦労したみたいですね。女は男の才能に弱い(^0^;)楽しかった!ありがとうございます(´▽`)ノ

    • Nick Ollie より:

      当時このヘアスタイルにピアス、やっぱりなかなか変わった人だったのかなー。変わった人だし天才、且つメンヘラ製造機。おー。

      絵がだんだん生気と色気を持つように変わっていってるように思いました。「魅せられし河」は知らなかったけど、美しいね。本物を見てみたいです。

  4. ねぇやん より:

    フーフーにもほどがある(笑)
    天才ってどこか、普通の人離れしたって言うか、あ、浮世離れ?って言うんでしたっけ?
    確信したのは、芸術家の人とは付き合えない、と言う事。(((uдu*)ゥンゥン

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