こんばんは!ナビゲーターのビー玉(@beedama_lab)です。
本日はメキシコの女性画家フリーダ・カーロの回顧展を開催します。
激動の人生を強く生きたメキシコ現代絵画を代表する画家フリーダ・カーロ。
私が見てきた絵画の中でも最も印象に残っていて・・・紹介したいなと思いつつ時間がかかってしまいました。
嫌いじゃないんです。むしろ好きなんです!
だけど、彼女の描く痛みに耐えられない方もいるかなと思い躊躇しておりました。
病気や事故で損傷した体、浮気性の夫、度重なる流産と身内の裏切り。
生涯 “痛み” と戦い続け、その全てをキャンパスに映し込めたフリーダ・カーロの世界にあなたをナビゲートします。
よろしければ、最後までお付き合いくださいm(_ _)m
フリーダ・カーロの痛みの始まり
フリーダは1907年、メキシコの著名なカメラマンの3女として生まれました。
6歳ときに急性灰白髄炎(ポリオ)にかかり、その時の後遺症で右足の成長がとまったと言われていますが、実は先天性の脊柱側弯症で左右の足の太さが極端に違っていました(※)。
「生まれつき」と言うと、遺伝的の病気を疑われ結婚に不利になる思った母が急性灰白髄炎(ポリオ)と言っていたのではないとも言われています
フリーダ11歳のポートレート
幼い頃から左右の太さが違う足をからかわれることが多かったフリーダの心にはコンプレックスという根が深く根ざしていて、誰かと外で遊ぶと言うよりは自分の想像上の友人と遊んだり、絵を描くことを楽しむ子どもだったようです。
医者を目指しエリート高校へ
内向的ではありましたが、知的好奇心が強く頭がよかったフリーダを父は国立予科高等学校に入学させます。
そこは、全校生2000人の中に女性はわずか35人という中南米で1、2を争うエリート校。
幼少期に同級生に不自由な足をからかわれて大きなコンプレックスを抱えた少女は、そんなエリート校の学生として過ごすうちに本来の活発さを取り戻し、学校でもリーダー的な存在となっていったんです。
ただね、真面目な生徒だったわけではなく、気に入らない教授の授業に爆竹を破裂させるという問題児ではありましたけどね(^▽^;)
順調にコンプレックスを乗り越えてつつあった彼女を襲った大きな “痛み”は通学途中に遭遇したバス事故でした。
18歳だったフリーダは腹部をパイプが貫くという大怪我を追い、鎖骨肋骨足方背骨など損傷。
奇跡的に九死に一生を得たものの、1人で立つこともままならない体では医者になりたいという夢は諦めるしかありませんでした。
運命を呪い鬱屈とした気持ちを紛らわせるためにフリーダが選んだのが絵画を描くこと。プロの画家への道です。
ディエゴ・リベラとの出会い
ディエゴ・リベラは後にフリーダの夫となる男です。
フリーダの才能を認め、開花させたメキシコを代表する壁画を得意とする画家。
日本ではフリーダ・カーロの夫として有名だけど、母国メキシコでは500リラの紙幣に印刷されるほどの有名人!
美男子じゃないけど、そこはまぁ才能ある男はかっこよく見えるから♪
フリーダ22歳で43歳のディエゴと結婚。
妻の才能を認め、成功へ導いた夫と聞くとどんな素敵なロマンスがあったんだろうってワクワクしちゃいますよね!
フリーダいわく、ディエゴは・・・・
事故物件
フリーダは人生を変えるような事故に2度遭遇したと言います。
1回目は通学途中で大怪我をおったバスの事故。
2回目はディエゴ・リベラなんだとか!
じつはディエゴ、結婚はフリーダで3回目
離婚理由はどれも浮気( •ὢ•)
モディリアーニ《ディエゴ・リベラの肖像》1914年
ディエゴはフリーダに向かって「君と出会って本当の愛を知った」とか言ったとか言わないとか・・
女性はこのような言葉に弱いけど、リアルでこれを言う男はほぼ全員浮気性のメンヘラ製造機だから自己肯定感が弱めの女子は気をつけて( ✧Д✧) カッ!!
単なる経験談ですよね?
それもあるけど、その手の人は本当の愛を求め歩いてるから・・
本当じゃない愛もたくさんあるってことです。※諸説あります
悪意ある肖像画を貼っちゃいましたけど、実際にはかっこよく見えたと思います。
ディエゴは政治的メッセージの強い壁画を描き、メキシコの指導者的な立場でもありました。
女性の扱いに長けており、フリーダのコンプレックスもすべて肯定してくる懐の広さもあり、人間的に非常に魅力ある人物だったんだと想像はできます。
結婚当初はフリーダもがっつりディエゴに依存し、画家としてよりも献身的な妻として振るまっていました。
フリーダ・カーロ《フリーダとディエゴ・リベラ》1931年
画家としてパレットを握っているのは夫だけだし、フリーダに対して大柄といえどもディエゴは大きすぎます。
才能はどんなイケメン要素も凌駕するというのは私の持論ではありますが、フリーダからみて、高名なディエゴの存在はそれほど大きくみえたのでしょう。
ディエゴ好みの長い髪、そして服(民族衣装)を着て、絵も描かず家でディエゴの帰りを待つのが幸せだった日々・・
嫌な言い方かもしれませんが、才能ある画家の妻という立ち位置ははフリーダの自尊心も満足させていたと思います。
夫の浮気も何度も目をつむってきました。
歯車が狂いだしのはフリーダが妊娠して流産をくりかえしてしまった頃。
痛みを描く画家に!
フリーダ・カーロ《ヘンリー・フォード病院》1932年
カラーだと痛々しすぎるのでモノクロにさせていただきましたm(_ _)m
夫の仕事の関係でアメリカにいた頃に流産し、その心の痛みを描きました。
ヘンリー・フォード病院とはフリーダが入院した病院名です。
流産の原因はバス事故で子宮を損傷したこと。そんな子宮の解剖図、骨盤、女性器を連想させるランの花。そして胎児。
カタツムリはスローモーションのように感じた時間を、万力のような機器は苦痛を表しているのかな?
赤い血が命の儚さを物語っているようで、辛い・・
フリーダ・カーロの《死の仮面を被った少女》名古屋市美術館所蔵
パッと見ると怖い絵ですが、描かれる少女は生まれることができなかったフリーダの娘を描いたもの。
手に持っている花は現世に戻る時の道標、足元の怪物はその道中を見守る魔除けなんだとか・・
切ないよね(ノД`)シクシク
『ちょっとした刺し傷』じゃない!夫と妹の裏切り
こんな苦しい体験をしている時に、夫であるディエゴはよりにもよってフリーダの妹と男女の関係を持ってしまいます。
ゲスですね
女性は友人や身内に話しを聞いてもらうことで傷を癒します。それをも蝕んで追い詰めるような関係はダメです(ノД`)シクシク
フリーダ・カーロ《ちょっとした刺し傷》
痛々しいので画像は小さくしておきますが、画像をクリックしていただくと大きくなります。
滅多刺しにされてベッドに横たわるフリーダど、その横でうすら笑いを浮かべる夫ディエゴ
詰め寄るフリーダにディエゴは「浮気は小便のようなものだ」だと悪びれる様子もありません。
『ちょっとした刺し傷』は、そんなフリーダとディエゴの永久に “埋まらない溝” を描いたものです。
その後フリーダは自分自身も男女問わず関係をもちます。
フリーダの場合は、当て付けというより夫との “埋まらない溝”を彼女なりに埋めようとしたのではないかなと私は思わずにはいられません。
結局のところ、溝は深まっただけでディエゴから別れを告げられてしまうんですけどね。( •ὢ•)
引き裂かれる気持ち『2人のフリーダ』
フリーダ・カーロ《2人のフリーダ》1939年
子どもの頃にこの絵を見た時は、ただただ怖い絵でした。
でも、大人になるとわかるんだなぁ・・フリーダの痛みが!
この絵に描かれているのは西洋風の衣装を着たフリーダとメキシコの衣装を着たフリーダ。
メキシコは300年もの長きに渡ってスペインに侵略されスペイン領でした。
4代5代もの長い間続いたスペインからの影響は言語にしろ文化にしろ多大すぎるものでした。
ディエゴの影響下にあったフリーダみたいにね。
深く深く絡み合った影響下から独立することって、ずっと単一国家で植民地になったことがない日本人の私には想像もできないくらいの痛みを伴うことだと思うんです。
相反するものではあるけど、すでに心臓が繋がっている状況わけですよ。それを断ち切るなんて自分の命をも傷つけるほどの痛み。
ちなみにスペインから独立した後も、メキシコが国家として落ち着きを取り戻すまでにさらに100年近くかかっていますから。
明日から白米と味噌汁禁止っていわれても無理ですやん?
ビー玉さんは白米に例えるのがお好きですが、わかりにくいです。
そんな歴史的背景とかを知らないとこの絵の本当の痛みはわからないんですよ(ノД`)ハクマイ・・
フリーダがいかにディエゴに影響をうけ、その依存とも言える深い関係から脱却を図るのは並大抵の痛みではないとこの絵は伝えているんです。
こういうのがわかるようになると、ほんと大人になってよかったなって思うんです。
こんな痛みを堪えて別れを受け入れたフリーダには幸せになってもらいたいけど・・・・
たった1年で復縁
ディエゴが復縁を願いフリーダが受けるという形でたった1年で復縁しちゃいます( •ὢ•)はい?
依存じゃなくて共依存。
ディエゴにとってもフリーダは必要だったんです。
2度目の結婚ではフリーダから「肉体関係を持たない」という条件をだしました。
私は以前よりもディエゴを理解できた。
夫の相手の女性のことを詮索しないようにした。
そのほうが平和だし、夫婦仲が順調なこと以外はどうでもよかった
フリーダ・カーロの日記より
恋人としてもう一度同じ痛みを味わうよりは、家族として一緒にいることを選らんだのです。
フリーダは人生で30回の手術うけ、衰弱していく体と壊死する右足の痛みに耐えながら47歳の若さで亡くなりました。ディエゴは浮気をしながらではありますが、最後までフリーダに寄り添います。
絶筆は
フリーダ・カーロ《ViVA LA ViDA (人生万歳)》1954年
ディエゴは始まり、ディエゴは創造主、ディエゴは私の子、ディエゴは私の恋人、ディエゴは画家、ディエゴは私の愛する人、ディエゴは私の夫、ディエゴは私の友達、ディエゴは父、ディエゴは母、ディエゴは息子、ディエゴは私自身であり、そして宇宙
1人の中にたくさんのディエゴがいるけど、私のものだったことは一度もないし、これからもないでしょう。
なぜなら彼は彼自身だから・・・
フリーダの日記より
体の痛みよりもずっと痛い傷を心に刻んだ夫ではありましたが、祖国メキシコを近代国家へと導いたディエゴを尊敬して止まなかったし、そんなディエゴが夫だったことはフリーダにとって誇りだったのでしょう。
そう思うわないと救われない( •ὢ•)
まとめ
ディエゴから受けた心の痛みはフリーダの絵に命を吹き込みました。
図らずもフリーダの画家としての才能を開花させたと言ってもいいでしょう。
夫婦のことは夫婦にしかわかりません。そいう関係もありっちゃぁあり!
フリーダ・カーロ《折れた背骨》1944年
フリーダの描く絵は本当に痛々しく、ここで紹介するのも躊躇してしまうものが多く、たくさんの絵を紹介することができませんでした。
今、 なんだかの“痛み” を感じているあなたなら、フリーダの絵に共感する部分もあるかと思います。
興味を持たれた方はぜひ「フリーダ・カーロ」で検索してみてくださいね。
フリーダの絵はルーブル美術館に買い取られるなど、画家としては生前に大成功を果たしました。
フリーダの痛みの人生もそのことでは報われたのはないかとホッとします。
本日は以上です。
痛みと戦い人生を駆け抜けた画家フリーダの人生はあなたの糧となりましたでしょうか?
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
またのご来館をお待ちしております(*ˊᵕˋ*)੭
コメント
うーん、痛い(;_:)
わたしは物語や映画など、人のハッピーストーリーにはあまり興味がなくて、どす黒い部分があるものを好む傾向にあるんだけど・・・ノンフィクションに暗い話は辛いなぁ。。。
病気や事故は不運だったけど、フリーダが不幸だったとは思わないけど。
どんな形であれ、愛する人に出会い、添い遂げたわけだもの。
よくも悪くも人に影響されたくない人は、ひとりでいればいいわけだから(そう単純でもないだろうけど)苦労はあってもひとりでいるよりはずっと幸せだったんでしょうね(*´ω`*)
本当に痛々しい絵です><
ビー玉さんが書かれている通り、この年齢だから色々感じ考えてしまう、、、
男性が持つ実力はほんと魅力に加算されますよね、、、
そして多少のお痛をしても許してしまう(´;ω;`)
お互い依存していた、ということが苦しい中でも救いに感じました。
(・ε・)ムー 深いというか痛いというか。興味は持ったが…みたいような、そうでもないような。
この画家のことは初めて知りました。が、痛い。人生も絵も痛い。いろんな辛いことがありすぎたのか。
ダンナはゲスだけど、結局最後までお互い好きだったのね。フリーダの日記の言葉を読むと、好きだったんだと思うなー。宇宙だって言うくらい。