こんばんは!ビー玉です。
今宵は、【大人の美術館】へようこそ・・・
本館、【大人の美術館】は、素人の素人による素人のための妄想美術館です。いわゆる “常識” とされている見解と違う箇所もあるかとは思いますが、ゆる~い気持ちでリラックスしながらご観覧ください。「知ると絵画は色っぽい」をコンセプトに、今宵も大人の美術館は開館します・・・
昼間は淑女、夜は娼婦というのが世の理想の女性と言われました、聖書の世界にもそんな女性はいるのです。
お時間許す限り、ごゆっくりご鑑賞ください。
娼婦にされた美しき女性使徒マグダラのマリア
マリアといえばキリストの母である聖母マリアが有名ですが、実はキリストの周りには何人にもマリアがいまして、その中でリーダー的存在だったのがマグダラのマリアです。
マグダラのマリアは、元娼婦で体の中から7つの悪霊をキリストに追い出してもらって改心し、キリストの巡教の旅に同行して処刑の現場にも復活にも立ち会ったとされる女性です。
聖母マリアの次くらいに絵画にはよく書かれましたが、聖書での登場回数はとても少ないのです。
なのに、絵画の需要が多かったのは「元娼婦」という肩書きがあったからでしょう・・
ルネッサンス以降、神話の女神を裸にすることで女性のヌードを比較的自由にかけるようになりましたが、それ以外に色っぽい女性を描くことはとても難しかったのです・・・聖書のヒロイン聖母マリアを脱がすわけにはいきませんから!!
開放的なルネッサンス期には美の女神ヴィーナスが、バロック期には「元娼婦」で、悔い改めたマグダラのマリアが絵画のヒロインとなったのです!
ムッツリすけべ度が増しましたw
ティツィアーノ作 「マグダラのマリア」
会心する場面といえば、半裸もOK〜みたいな(((uдu*)ゥンゥン
会心して全てを投げ打ってキリストに付き添ったという逸話から彼女の半裸は信仰深さを意味しますし!!
いやぁ・・本当にいろんな言い訳を考えるものだなと本当に感心します。
だけど・・・マグダラのマリアが娼婦だったという記載は聖書のどこを探してもないんですよ!!
7世紀初頭、キリスト教の最高顧問であった大教皇グレゴリウス1世が女性の身で7つもの悪霊を有していたのは「娼婦だったに違いない」というド偏見のもと「娼婦」ってことになったんです!!
中世では、7つの悪霊の「7つ」というのは「多い」という意味だったし、複数のマリアが融合した結果、罪深き女ということになってしまったという経緯もあります。
まぁ、ド偏見というのは失礼な言い方ですが、当時は娼婦を更生させようという大キャンペーンが繰り広げられていたので、娼婦でありながら悔改めると聖女になれるというマグダラのマリアのストーリーは都合がよかったんです。
※あくまでもビー玉のド偏見のよる見解ですよぉ(llФwФ`)ガクガクブルブル
絵画的には、憂いのある色っぽい女性を描くということに魅力があったようです。聖書では登場シーンは少ないですが、絵画はやたら登場回数が多いです(ノ∀`)タハー
まぁあれですね・・・昼間は淑女、夜は娼婦っていうね(ΦωΦ)フフフ…
カラバッジョ作「法悦のマグダラのマリア」
リアル表現の画家カラバッジョの渾身のマリア!カラバッジョは人を殺めてしまった画家として有名で、これは逃亡中に潜伏先で描かれたマリアです。法悦とは神の説法を聞いて喜びを感じてるという意味です。
えっと・・カラバッジョは改心してないようです(゚∇゚ ; )
そうですね!カラバッジョ的には、ここは改心(反省)を描くべきでしたね!
画家が愛した「マグダラのマリア」のエピソード3つ
罪深き女 ー 自分の髪でイエスの足をぬぐう女 ー
これは実際はマグダラのマリアのエピソードではないんですが、のちに罪深き女とマグダラのマリアは同一視されマグダラのアリア=罪深いとされてしまったエピソードです。
この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
ルカの福音 7:36-38
汚れたキリストの足を自分の涙で洗い、香油を塗り清めることで、罪深き女の罪は許されるのです。
これ・・・・
指のフェチである私の目には・・ある種のプレイにしか見えないんですけどぉぉぉぉおヾ( 〃∇〃)ツ キャーーーッ♪
完全にアウトです!!次に行きましょう
イエスが十字架にかけられるのを聖母マリアとともに見守った
ほとんどの男性使徒たちが自分たちも処罰せれることを恐れて逃げてしまった中、ヨハネと女性信者数名、そして聖母マリアとマグダラのマリアはキリストを最後まで見守りました。
ルーベンス作 「キリストの降架」
さすがドラマチックの帝王ルーベンス!!うねるような構図が見事です。この絵画はフランダースの犬のネロが最後に見た絵画としても有名ですね!
香油のエピソートから、十字架にかけられるキリストの絵でもマグダラのマリアはキリストの足元に描かれることが多いです。降架するキリストの足をささえるのがマグダラのマリアです。
これは、Wマリアが磔刑中のキリストの前で、逃げちゃった使徒の悪口を言ってる感じですね!女性って悪口に夢中になると状況は二の次になっちゃうところがありますから・・(ΦωΦ)フフフ…
復活したキリストを目撃する
キリストの死から数日後、マグダラのアリアはキリストの亡骸に香油を塗るために墓にむかったのですが中は空でした!!
悲しむマリアの後ろで「なぜ泣いている?」と声がします。
マリアが振り返りと・・そこには復活したキリストが!!
駆け寄るマリアにキリストが言い放ったのは・・・まさかの Noli Me Tangere.(ノリ・メ・タンゲレ)「私に触るな!」です。
ティツィアーノ作 「ノリ・メ・タンゲレ 我に触れるな」
まぁね・・その布を引張たら大変なことになっちゃうから(; ・`д・´)
キリストさんも必死で抑えますw
「もうちょっと待ってね・・神様に復活のお礼を言ってからね♡」 ってか?
「♡」は誤植です。
アブラハム・ヤンセンス作 「我に触れるな」
最後マリアが復活したキリストを農夫と間違えたという記載があるため、キリストを農夫っぽく描いちゃった図です(゚∇゚ ; )
・・・・どう考えてもヤリすぎですねwww 復活した感ゼロ〜(; ̄Д ̄)
作者不明
気持ちは分かるけど、マリアはふてくされすぎだし、キリストさんは死後数日たってるとは思えないほど血が出てるし・・復活って痛みも出血も復活するんやぁΣ(゚д゚lll)ちょっと嫌かも!!
いや〜ノリ・メ・タンゲレのテーマにはまだまだお宝絵画がいっぱいあるんですが、キリがないので、これくらいにしておきましょう。
ヌードが描けるわけでもないのに、なぜここまで人気のテーマだったのか(´-ω-`)?
ナグ・ハマディ文書
ここまでキリストの身近にいたマグダラのマリアですが、聖書ではキリストの復活後はまったく登場しません。意図的に消されたのではないかというほど不自然です。当時の教会にとって何か不都合があるのかなぁ・・なんて考えてしまいます。
1945年にエジプトで発見された古文書ナグ・ハマディ文書のないようからある仮説が生まれました。
マグダラのマリアはイエス・キリストに最も愛された使徒であり、伴侶だったのではないかという説です。
主はマリヤをすべての弟子たちよりも愛していた。そして彼(主)は彼女の口にしばしば接吻した。他の弟子たちは主がマリヤを愛しているのを見た。彼らは主に言った。
「あなたはなぜ、私たちすべてよりも彼女を愛されるのですか?」
救い主は答えた。
「なぜ、私は君たちを彼女のように愛せないのだろうか」
大貫隆訳(岩波書店ナグ・ハマディ文書)
ナグ・ハマディ文書には、マリアがキリストに愛されたこと以外にマリアが他の弟子たちを諭す場面も書かれています。
それが本当なら、パウロをキリストの一番弟子とする教会には不都合があったのもの頷けます。
このナグ・ハマディ文書をヒントにベストセラーになった「ダ・ヴィンチ・コード」が書かれて、世界が騒然となったのは記憶にあたらしいですね。
通説では青い服の女性的な人物はヨハネだと言われていますが・・「ダ・ヴィンチ・コード」ではマグダラのマリアではないかと仮説をたてていました。
確かに女性にしか見えません(゚∇゚ ; )
聖書はいろんな解釈がされますし、ナグ・ハマディ文書も完全体で見つかったわけではなく、失われてしまった文書も多々あります。審議のほどはわかりませんが、物語としてマグダラのマリアがキリスト伴侶だったというほうがドラマチックで面白いなぁ・・なんて思ってしまいます。
マグダラのマリアのアトリビュート
最後にマグダラのマリアを象徴するアイテムを紹介します。
エル・グレコ作 「マグダラのマリア」
・香油入れの瓶
・骸骨
マグダラのマリアと聖母マリアを迷ったら、上のアイテムを探してみてね(*'ー'*)
本日は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございます。当館は毎週土曜日の深夜に開館します。また来週お会いいたしましょう(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ cx
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