恐ろしい骸骨(がいこつ)と踊る「死の舞踏」が人々を惹きつけたわけ

中世

こんばんは、大人の美術館ナビゲーターのビー玉(@beedama_lab)です。

フィギュアスケートのキム・ヨナがサン=サーンスの交響詩「死の舞踏」によるプログラムを発表したことで「死の舞踏」を知ったという方も多いでしょう。

じつは「死の舞踏」とは中世で生まれ、現代も親しまれている美術テーマです。

絵画だけでなく、文学や音楽にも影響を与えています。

では「死の舞踏」とはいったい何なのか?

中世のヨーロッパではいったい何がおこっていたのか。

本日は絵画を通して中世ヨーロッパの人が怯えた死者の世界にあなたをナビゲートします。

少々怖いですけどね。よろしければ最後までお付き合いください。

人々はなぜ骸骨(がいこつ)と踊ることになったのか?

15世紀のヨーロッパで人と骸骨が踊る「死の舞踏」というテーマが大人気となりました。

人々はなぜ骸骨と踊ることになったのか?その理由は絵画が描かれたよりも1000年も前に遡ります。

突然ですが、人類最大の敵って何かわかりますか?

・戦争
・飢餓
・疫病

多くの人の命を奪う三大厄災はこの3つだと言われています。

人類はこの厄災によって何度も存亡の危機に陥ってきました。いうなれば全人類最大の敵です。

中世ヨーロッパにおいて、特に多くの人命を奪ったのが「黒死病(ペスト)」です。

作者不明『死の勝利』15世紀

ヨーロッパでは6世紀のローマを皮切りに幾度かのペストの流行がありましたが、最大の犠牲者を出したのが14世紀。

その時の死者は全世界で一億人、ヨーロッパだけで2500万人とも言われ、ヨーロッパ人口の30%以上、地域によっては80%もの尊い命が奪われたと言われています。

黒死病の潜伏期間は3〜7日、インフルエンザのような症状出て皮膚に黒いアザが現れたことから黒死病と呼ばれました。

今までネズミが黒死病の大流行の原因とされていましたが、最近の研究では人につくノミやシラミが感染拡大の原因だという説も浮上しています。

どちららにせよ、凄まじい勢いで感染は広がり

家族や友人がバタバタと病で亡くなり、街は処理しきれない死体の山で、まるで戦地のような惨状だったそうです。

そして、自分もいつどうなるかわからない。

医療は役に立たない。最後の頼みである神様に祈ってのダメ。

そんな極限状態で神に祈りの捧げていた人々の中から突然踊り始め、周囲を巻き込みつつ倒れるまで踊り続けるという事例が発生します。

おそらく集団パニックだったんだと思います。「踊れば病気にかからないらしい」というデマがまことしやかに流れ、村をあげて踊りを推奨したところもあったんだとか

人々は狂ったように踊り続けました。

コロナ禍でトイレットペーパーが世の中から消えたのも似たような現象です。恐怖は人々から理性を奪います。

恐怖に駆られた人たち踊りの渦はどんどん大きくなり結果的は400人を巻き込んで、その内の100人が疲労や怪我のために亡くなくなったと言われています。

この現象は「踊りのペスト」と呼ばれ、それをヒントに骸骨と人々が踊る姿を描いたのが、のちの世にブームとなる「死の舞踏」です。

ベルン大聖堂の死の舞踏を描いたステンドグラス(画像出典:Wikipedia)

なぜ人々が骸骨と踊ることになったのかといえば・・

火山灰を多く含む日本の土壌だと骨は数百年で土に還ります(土葬だと数十年)。だけどヨーロッパの土壌では骨は溶けずにいつまでも残るんです。

なので、日本だと死者は幽霊となって現れますが、ヨーロッパでは骸骨だったんですよ。

ミヒャエル・ヴォルゲムート 『死の舞踏』1493年

骸骨は死神ではなく、かつては家族や友人だったかもしれない死者。死の擬人化です。

黒死病(ペスト)収束から1000年の時を経てリバイバルブーム

黒死病の流行が始まった頃から教会やお墓などの壁に「死の舞踏」をテーマとした壁画が描かれ始めました。

最古と言われているのはパリのサン・ジノサン墓地の回廊に描かれた フレスコ画。だけど今は現存していません。

パリの聖イノセント墓地にある納骨堂、死の舞踏の壁画

こちらは当時の「死の舞踏」が描かれた建物。

 

館長
館長

屋根にまで人骨が・・

黒死病の流行が収束すると不気味な「死の舞踏」の絵は消されたり壊されりで、現存するものはほとんどないんです。

そして黒死病のブームがひと段落した15世紀に再び「死の舞踏」はブームとなります。

当時のイギリス国王ヘンリー8世のお気に入り画家だったホルバインが木版画として「死の舞踏」を描き、印刷技術向上にともなって本となって瞬く間に世の中に広がっていきました。

ホルバインの「死の舞踏」版画集は今でも販売されています。

ただ、ホルバインの木版画に描かれている「死の舞踏」はカルト的な狂気に駆られた踊りではありません。

ホルバイン『死の舞踏(司教)』

黒死病がヨーロッパ全土に猛威を振るい始めたころは病は罰であり、キリスト教的には罪を犯した人間が病にかかって死ぬと言われていました。

要するに黒死病にかかる人々は神への信仰を疎かにしたからだと、キリスト教のプロパガンダとして利用されていたんですけどね。

だけど、人口の30%が亡くなるような大厄災です。

カトリックのお膝元であるイタリアのフィレンツェに至っては人口の80%を黒死病で喪失したと言われています。

農民や王侯貴族などの身分関係なく、教会の司祭や最高位の枢機卿だって罹患して黒死病で亡くなるわけですよ。

 

館長
館長

どういうこと?ってなりますよね

それまで教会の言うことを聞いていれば安定した生活が手にはいる思っていた人々も疑心暗鬼になり、教会の腐敗や分裂などもあり教会の信用が失墜。

そこで、教会に対する皮肉を込めて描かれたのが15世紀の「死の舞踏」です。

ホルバイン『死の舞踏(修道院長)』

生前は司祭だった死者なのかな?司祭帽を被った死者に抗えない修道院長。

彼の寿命を表す砂時計にはまだ砂が残っているのに、突然の死は寿命関係なく人々を襲います。

 

基本的に「死の舞踏」では農民から王様や司祭などあらゆる階級の人間が死に誘なわれていきます。

 

ホルバイン『死の舞踏(司祭)』

お葬式へと向かう司祭の列にも死はこっそり潜んでいます。

死者を見送る人が明日には死者になるんです。

ホルバイン『死の舞踏(枢機卿)』

免罪符を売る枢機卿の隣にも死は潜んでいます。

 

ホルバインの版画では死の前では全ての人が平等だと言っているんです。

腐敗して権力を欲しいままにしていた当時のカトリックへの批判もたっぷり含まれていたんでしょう。

6人のお妃を全員不幸にしたイギリス王室きってのパワハラ王ヘンリー8世

まぁ、カトリックと喧嘩別れして国教を変えたヘンリー8世のお気に入りの画家だったからかもしれませんけどね。

死の舞踏は人々の癒しだったのかもしれない

 

ホルバイン『死の舞踏(伯爵夫人)』

死者は出かけようとする伯爵夫人の身支度を手伝います。

 

「死の舞踏」は当初、「誘惑に弱いから病にかかる」的な説教を込めた教会のプロパガンダに使われていたんだと思うんですけどね。

死の舞踏が描かれた教会やお墓の壁を見に大勢の人が押し寄せたそうです(それが病を広けた可能性も大)。

そこまで人々の心に刺さったってことは説教とは違う意味を民衆は感じ取っていたんじゃないかなって思うんですよね。

 

キリスト教での死は終わりでなく、天国は人々にとっての次のステージ。

そして村祭りなどでの「踊り」は人々にとっては大きな娯楽。

踊りながら「みなが平等」という次のステージに行くというのは、少なからず人々を死の恐怖から救ったのかもしれません。

後の世の皮肉めいた「死の舞踏」が人々に受けたのも、教会に対する人々の不信感を少なからずスッキリさせたんだろうなって思います。

「あの世に行けば、金持ちも自分たちも同じ」

「死は身分関係なく皆に平等」

そんな「死の舞踏」はもしかしたら病に怯える人々の気持ちを少しだけ軽くしたかもしれませんね。

「死の舞踏」は絵画だけでなく、音楽にも影響を与えました。

作曲家サン=サーンスの「死の舞踏」では鉄琴や木琴の音色が骸骨の踊る骨の音を表現しています。

気になる方は聞いてみてね。

では、本日は以上です。最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

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