こんばんは!ナビゲーターのビー玉(@beedama_lab)です。
本日は中世。ゴシック時代に焦点を当ててお話ししたいと思います。
中世ゴシックご擬人化すると、ガチガチにお堅い優等生タイプ。
中世はキリスト教が中心で、清貧と貞淑を教義としており、その堅さは暗黒とも言われています。
ではなぜ、人々はキリスト教に傾倒し、教会に絶対の権力があったのか・・・
12〜15世紀 | ガチガチのお堅い優等生タイプのゴシック |
14〜16世紀 | 明るくエロを叫ぶオープンエロのルネサンス |
16世紀 | 私に近づくことは許さない!ドS女王様のマニエリスム |
16〜18世紀 | 過剰な愛情であなたを繋ぎ止めたいメンヘラバロック |
18世紀 | 楽しければいい♪盛り盛りギャルのロココ |
18〜19世紀 | 上下関係にやたらと厳しいモラハラ女子の新古典主義 |
19〜20世紀 | いつもで流行の最先端、意識高い系女子の印象派 |
19世紀 | いつもなにもないところを凝視している不思議女子の象徴派 |
19世紀末 | サークル内恋愛こじらせ女子のラファエロ前派 |
20世紀 | 個性的にしか生きられない!藝大系女子の20世紀芸術 |
中世といえば、マンガやゲームなどの舞台になることも多いので興味がある方も多いとは思います。
塀に囲まれたのどかな城下町。塀に外に広がるのは平原と森。
実際の中世はどうだったのか?
なぜ教会が力を持っていたのか?
中世ゴシックの世界にあなたをナビゲートします。
\こちらの記事は動画でもお楽しみいただけます/
ゴシックまでの道のり。
中世のヨーロッパは平野を埋め尽くすような広大な森に覆われ昼間でも空は薄暗く、食物も育たず貧しい暮らしを強いられていました。
廻りに目印になるような高い山もなく、鬱蒼とした広大な森は人々を迷わせます。
そして、そのまま夜になり獣の餌食になることも少なくありませんでした。
なので人々は森を悪魔だと恐れていたんです。
今では考えられませんが、森林を伐採すればするほど正義でした。
リアルドラクエな世界?
人々はそんな薄暗い森の中で小さな村を形成して暮らし、村を囲む柵から一歩でも出ようものなら狼などの捕食動物や暗い森の脅威に怯えて暮らしていたんです。
まさに村から出たらモンスターが襲いかかってくるようなリアルドラクエの世界!!
そして、かつて城下町と呼ばれた古代ローマの廃墟には真っ黒な修道服を身に付けた数百人の修道士が暮らすのみ。
彼らはベネティクト派と呼ばれ、厳しい戒律(服従、清貧、童貞)を守り、ただ祈りを捧げる毎日を送っていました。まさに「暗黒」というのが相応しい感じです(^▽^;)
聞いているだけで鬱々と・・・
11世紀になるとベネディクト派から派生したシトー派が誕生します。
人々を暗い世界から救ったキリスト教
シトー派は祈るだけでなく労働と学習(知識)を重要視して、高い知識で農業と人々の暮らしを激変させました。
牛や馬を使い、農具を開発し効率よく森林を開拓使し、穀物を育てて保存食(パンなど)を作り出していきます。
10世紀から14世紀までヨーロッパが温暖期に入ったのが幸いして生産量も人間も激増!
森をどんどん開拓することで、日当たりも良くなるってもんです。
シトー派と共に暮らす人々はやっと安息を手に入れたんです。
神=光という図式が受け入れられたのも納得(((uдu*)ゥンゥン
村で溢れた人手は仕事を求めて城下町を目指し、商売を始め都市が形成されていきます。
様々な場所から街に集まった人々にキリストの教えを分かりやすく教えるためには偶像が必要でした。
モーセの十戒で偶像崇拝を禁止されていたにも関わらず、絵画や彫刻が作られ聖書が映像化されていきます。
これがゴシック芸術の始まり。
ゴシック美術の始まり
ちなみにゴシックとはのちのルネサンスの人々がゴート人(ゲルマン人)に対して使った「野蛮な」という意味の蔑称が由来となっています。
ゴシックでは、建物の天井が高くなり、その天井を支えるために壁ではなく内部の支柱と外部からも支えるのフライングバットレス工法を採用。
そのことで壁に大きな穴を開けられるようになり、窓が大きくなりステンドグラスが発展しました。
画像出典:Wikipedia
光差し込むステンドグラスや彫刻で彩られた教会、そんな場所で奏でられる音楽は人々を圧倒したことでしょう。
この視覚効果は絶大な効果を生み、おそらくですが教会は当時の人々にとっては現代のテーマパークのような存在だったのではないかと思うんですよね・・・教会には人が殺到し、信者は瞬く間に増えていきいきました。
そんな感じでゴシック建築って高い天井と尖った屋根、そしてステンドグラス特徴です。
そんなゴシック建築は都市を作った人々が自分たちの故郷であるヨーロッパの暗い森と木漏れ日をイメージしていると言われています。
嫌な言葉を使うと人々の郷愁と森を破壊した懺悔の気持ちを利用したとも言えますね。
ちなみに東京都庁を設計した丹下健三さんはゴシック建築愛好者で、都庁もゴシック建築をイメージしてデザインされたんだとか。
私は中は入ったことないんですけど、内部は木漏れ日っぽいんですか(*'ー'*)?
東京都庁(画像出典:Wikipedia)
ゴシック建築ってクールでかっこいいんですよね。自然回帰思考のある現代時には特に刺さるものがある気がします。
キリスト教は人々を飢えや死の恐怖から救い、森を切り開き光をもたらしました。
だけど「キリスト教徒でないと飢え、また森で獣や飢えに怯えならが暮らさないといけない」という恐怖は強烈なマインドコントロールとなって教会が絶大な力を持つことになりました。
そして絵画はどうだったかといえば・・・
無表情なゴシック絵画
ウラジーミルの聖母(生神女)12世紀ごろ
クールですねぇ・・・
堅いですよねぇ・・・
本来キリスト教では、偶像崇拝を禁止しており、本来ならキリストの像や絵を崇拝の対象にしてはいけなかったんです。
無理やり映像化するにあたって、それなりのルールが必要でした。
聖人たちは特別な存在でなくてはなりません。
描かれた聖人たちが普通の人間に見えてはダメなんです。
なので立体的な造形は避けのっぺり平面的に、子どもが生まれようが、十字架に貼り付けにされて亡くなろうが喜んでも悲しんでもいけません。ましてや苦しむなんてもってのほか!
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ作 「キリスト降誕」1440年
「キリスト降誕(一部)」
ゴシック初期から後期まで200年たっても無表情www
おくるみが苦しいのかもだけど
ゴシックは12世紀後半から15世紀と、だいたい200年くらい続いたんですけどね。その間、絵画の装飾性が上がっても表情はちっとも和らぎませんでした(^▽^;)
「聖人とは人間を超越した者」
そんなゴシックにおいて、聖人たちに人間としての感情を初めて描いていたのがジョットです。
人間の感情を書き始めたゴシックの画家ジョット
ジョット・ディ・ボンドーネ作《ユダの接吻》 (1305年頃)
スクロヴェーニ礼拝堂
感情豊で熱苦しいほどののバロックに比べたらまだまだ表情は堅いですけどね、イエスは裏切り者であるユダを見据え、緊張感が漂う人間模様が描かれています。
ビザンティンから続く無表情文化千年の宗教画の中で、ジョットの描く宗教画はあきらかに異質でドラマチックなのです。
ゴシックまとめ
初心者用の美術の解説本を開くと、ほぼほぼ第一章はルネサンスになっています。
美術はルネサンスが誕生する何千年も前から存在していて
中世美術の形式はゴシックの前にもビザンティンやロマネスクなどもあったんですけどね、ほとんどが作者が不明なことと、美術というよりはキリスト教を「伝える」ためのツールだったんです。
なので、キリスト教と馴染みの少ない日本では、美術史としてはルネサンスから語られることが多んでしょうね。
ゴシックの画家ジョットによって、絵画に人間の感情を描くことが始まり、現代の私たちにも過去の作品に共感し楽しむことができるようになっています。ジョット様さま✨
ゴシックで人間らしさを解禁
ルネサンスで人間の肉体美を解禁
バロックでは絵画で人の心を揺さぶり
印象派がルネサンスから続く絵画の価値観を壊し
だれもが自由に描くことを獲得した20世紀美術まで、人間を描こうとした西洋絵画史千年の旅の幕開けがゴシックなのです。
***中世美術に関する記事を読む***
12〜15世紀 | 優等生タイプのゴシック 風紀の乱れは許しません。肌の露出もNGです。 |
さぁ旅、一緒に旅に出かけましょう♪
次はルネサンスですよ〜♪
コメント
ゴシック…あの空を目指してとんがっていく建築、ステンドグラスから色が降り注ぐ建築内…素晴らしいですよね(*´ー`*)。
そう言えば、西洋美術史の先生がジェットを熱く語っていて、「ジェット」って呼ばれてた(笑)。居眠りばっかりしていないでちゃんと勉強しておけば良かった(´`:)
ルネサンス…楽しみにしています( ^o^)ノ
美術史の移り変わりにヨーロッパの歴史を感じますね。( ゚д゚)ウム 次のターンも楽しみだ。
おくるみの中の無表情の赤ちゃんキリスト、何度見ても吹き出しそうになる。不謹慎かしら、、、