まるで天使のような少女の美しさを追求した画家『ウィリアム・ブグロー』の生涯

新古典主義、ロマン主義、写実主義

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こんばんは!大人の美術館、ナビゲーターのビー玉(@beedama_lab)です。

当美術館へお越しのお客様は美術好きな方が多いと思いますが、ウィリアム・ブグローという画家をご存知でしょうか?

印象派が好きな方は、印象派の宿敵であるアカデミーの画家という認識があるかもしれません。

だけど、ご存知ない方も多いのではないでしょうか?

ブグローは長い美術史の中でも最も絵が上手い画家の1人だったのにもかかわず、死後はその存在を忘れられた画家となっていたからです。

高い技術を持ちながらブグローはなぜ美術史から姿を消していたのか?

本日はそんなブグローが最後までこだわり続けた美の世界にあなたをナビゲートします。

よろしければ最後までお付き合いください。

忘れられた天才画家 ウィリアム・ブグロー

 

『自画像 』1886年

ウィリアム=アドルフ・ブグロー(William-Adolphe Bouguereau )は1825年、フランスのラ・ロシェルにてワインとオリーブオイルのお店を経営していた両親の次男として生まれました。

生家は貧しく12歳の時に司祭である叔父ウジェーヌに預けられました。

ブグローは叔父の元で自然や宗教、文学を学び後の画風に大きな影響を与えることになったのですから人生何が幸いするかわかりません。

14歳の時に神父になるためにカトリックの学校に進みます。

そこで絵と出会い本格的に学ぶことを決意するんです。

ただ、金銭的に余裕がない実家や叔父に頼ることができなかったブグローは、たった3ヶ月で33枚の油絵(肖像画)を描き売り、学費を工面したんだとか!

商才もあったのかもしれませんが…

本格的に絵を学ぶ前からすでに抜群にうまかったんだろうなということが想像できます。

 

 

ゴッホが10年で800点以上の油絵を描いて、たった1枚しか売れなかったことを思うと、なんとも切ない

館長
館長

同じく聖職者を目指して画家に転身したところまでは一緒なのに

 

天才でいて努力家

『地獄のダンテとウェルギリウス』1850年

ブグローはパリの名門美術学校「エコール・デ・ボザール」に入学し、正式なデッサンに加えて、解剖学や歴史、考古学、絵に必要なことすべてを貪欲に学びます。

まるでロールプレイングゲームのように着実に絵のレベルを上げ、天才という名を欲しいままにしたブグロー

 

『地獄のダンテとウェルギリウス』は彼が25歳の時に描いた初期作品です。

 

ビー玉
ビー玉

すでに出来上がっててドン引くレベル!!

 

 

かつて当「大人の美術館」でこれほど煌びやかな経歴を持った画家を紹介したことがあっただろうか?

いや、ない

といえるほど、輝けるブグローの経歴と錚々たる作品群をしばしご観覧ください。

 

ブグロー華麗なる受賞経歴

1848年 ローマ賞 2位

1850年 ローマ賞 1位

1859年 レジオンドヌール シュバリエ勲章(5等・騎士)

1876年 レジオンドヌール オフィシエ勲章(4等・将校)

1881年 レオポルド勲章

1885:年 レジオンドヌール コマンダー勲章(3等・司令官)

1885:年 名誉勲章受賞

1890年 ベルギー王立科学アカデミー会員

1905年 レジオンドヌール グランオフィシエ勲章(2等・大将校)

 

館長
館長

眩しすぎますね

ブグローの華麗なる作品群

『母性』1859年

『ヴィーナスの誕生』1879年

『聖母、イエス、バプテスマの聖ヨハネ』 1875年

『歌を歌う天使たち』1881年

トワイライト、夜、夜明け、昼 1881〜1884年

『百合の聖母マリア』1899年

アカデミーの重鎮として神話や聖書を題材にした作品を多く残していますが、それ以上に一般の人々を描いた作品がメチャメチャいいんですよ。

『休息』1879年

若い母親と子供たちのリラックスした表情が泣きたくなるくらい幸福そうでいいっ!

『木の実あつめ』1882年

はにかんだブルネットの少女と好奇心いっぱいの赤毛の女の子。恋バナでもしてるのかなぁ(* ̄∇ ̄*)

 

『羊飼いの少女』1889年

少女と大人の女性の間ぐらいの。意思が強そうでいて危ういような少女像が魅力的。

このようにブグローはけっして裕福ではない人々にもやわらかい視線を向けています。

そして、私が大好きで圧巻なのが・・

 

神をも恨んだ家族の死

『ピエタ』1976年

このピエタには圧倒されます。

ピエタとはイタリア語で哀れみ・慈悲などの意味。

十字架にかけられ処刑された息子イエス・キリストの亡骸を抱いて静かに悲しみに耐える姿というのが一般的です。

ブグローのピエタは聖母マリアが息子を奪った世界に向けて強い視線を向けています。

「なぜ息子が死なねばならかったのか」

「神はなぜ助けてくださらなかったのか」

そんな声が聞こえてきそうです。

これは、人生順風満帆に思えたブグローが経験した悲しみと怒りそのものなんです。

結核により若干16歳だった息子を亡くした直後、5人目の子供を出産後に体力が戻らず妻ネリーが死亡(結核ともいわれている)。

ネリーが命をかけて出産した赤ん坊も2ヶ月後に亡くなりました。

家族を立て続けに亡くしたブグローは半年の間、立ち直ることができずにひたすらデッサンと恨み言を書き殴っていたそうです。

そのデッサンを元に描かれたのが『ピエタ』。

怒りを秘めた聖母マリアはブグローの心の代弁者として描かれているんですね。

宗教画という形をとっていますが、神への恨みなども感じられるような迫力のある作品です。

 

妻の死後まもなく、教え子で秘書だったエリザベス・ジェーン・ガードナーと再婚しようとしたことを非難されたりもしましたが、

「ピエタ」を見ていると1人で悲しみに立ち向かい再生するのが困難だったんではないかと思わずにはいられません。

 

『エリザベス・ジェーン・ガードナーの肖像』1879年

実際にエリザベスと結婚したのは家族を次々に亡くしてから19年後、ブグローの最晩年です。

最後まで支えてくれたエリザベスに遺産を残すためだったのかなぁと思ったりします。

 

ブグローの死後、エリザベスはブグローを前妻ネリーと子供たちとともに安置しました。

エリザベス自信も画家として活躍しており、「尊敬するブクローの模倣者と言われても構わない」と公言していたといいます。

エリザベスの真意はわかりませんけど、夫婦というよりも師弟としての絆を強く感じます。

 

忘れられた天才画家

生前はフランスで最も著名な画家と呼ばれたブグローがなぜ人々から忘れられたしまったのか、

それはブグローと同時期にフランスに現れた印象派が原因です。

ブグローの絵を「滑らかで人工的な表面」と皮肉ったドガの絵と比べてみましょうか・・

ブグロー『少女』1878年

ブグローの絵は誰がみても美しく可愛らしく神々しくもあります。

近づいても筆跡を確認できない滑らかな肌なのに対して

ドガ『アブサントを飲む人びと(カフェにて)』1876年

筆跡も粗々しく、朝から強い酒を飲む娼婦とその客の憔悴した姿。

見る人によっては目を背けたくなるような一場面を切り取った絵画です。

発表当初は忌み嫌われた印象派の絵ですが、時代が進むと「リアルで革新的」と意識の高い次世代に絶大な人気を博しました。

そうなると、ブグローなど古典的な普遍的な美しさを追求したアカデミーの画家たちの絵は「古臭い」としか評価されなくなってしまいます。

アカデミーの画家たちは印象派を忌み嫌って画壇から追い出そうとしましたし、その保守的な態度も新しいものを求める次の世代には受け入れ難いものとなっていったんです。

ブグローの絵は20世紀の終わりに最発見されるまで人々の記憶から消えてしまいました。

一度は時代の “ふるい” にかけられたアカデミーの画家たちは、時を経ることで再び光る宝石として拾い上げられて現代に蘇りました。

 

ブグローは生涯に822点のを残しましたが、その多くの所在は不明のままです。

あなたの近くにもブグローの描いた可愛らしい少女が誰かに見つけられるのを待って静かに眠っているかもしれませんよ。

 

本日は以上です。お読みいただき、ありがとうございます。

当美術館は不定期に開館するweb上の仮想美術館です。

またの来館をお待ちしております。

 

 

コメント

  1. (☼ Д ☼) クワッッ!!! よし、納屋を探してみよう。(納屋がないケド。)

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