フランソワ1世!フランス宮廷にアムール(愛)と芸術を召致した国王

歴史

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こんばんは、ナビゲーターのビー玉(@beedama_lab)です。

芸術の都パリ

華やかな王宮文化、そしてアムール(愛)の国♡

実際の内情はどうあれ、フランスにそんなイメージを持っておられる方もおおいのではないでしょうか?

私は持ってます(`・ω・´)キリッ

これらのイメージは、ある1人の王様によって築かれました。

戦争好きで女性好き、フランスに名画《モナ・リザ》とルネサンスをもたらしたフランス国王フランソワ1世の世界にナビゲートします。

この王様、なかなかの美王でありスキャンダラスでもあるのです。

よろしければ、最後までお付き合いください

王になるはずではなかった男『フランソワ1世』

ジャン・クルーエ《フランソワ1世》ジャン・クルーエ 《フランソワ1世》 1527年〜1530

フランスの名門ヴァロア家の生まれ。

とはいえ、王位からはそれほど近くもなく誰も彼がフランス国王になるなんて思っていませんでした。

ただ、眉唾っぽくはあるんですが、フランソワ1世が生まれる前に母であるルイーズ・ド・サヴォアの夢枕に聖人フランチェスコが立ち、将来のフランス国王になる男児を産むだろうと言ったとか言わないとか(^▽^;)

真意はともかく聖フランチェスコの名前を冠して『フランソワ』という名前がつけられたんだとか!

フランチェスコとはイタリア語での名前。
フランス語では「フランソワ」となり、英語だと「フランシス」になります
幼い頃から母ルイーズの溺愛をうけ、高い教育を受けたフランソワ1世は2mを超えるとも言われる長身、愛された子どもらしく自信家でコミュニケーション能力の高いイケメンに育ちます。
母が美術に傾倒しており高い美術教育を受けたことも、のちの彼の人生に大きく影響しています。
フランス王家ナンバー1とも言われる審美眼をもち、当時芸術と文化の最先端であったイタリア様式をフランスに持ち帰りました。
ちなみにそんなイタリアへは国王自ら戦争しに行ってたんですけどね(^▽^;)
戦争ついでに連れ帰ったのが、西洋美術史きってのビックネーム
レオナルド・ダ・ヴィンチでした。
その時、ダ・ヴィンチがイタリアから小脇に抱えて(小脇かどうかわかんないけどw)フランスに持ってきたのが、あの美女!
 ダ・ヴィンチ《モナリザ》
ルーブル美術館(フランス)の至宝《モナ・リザ》です。
《モナ・リザ》がイタリアじゃなくてフランスにあるのはフランソワ1世がダ・ヴィンチをスカウトしてきたからなんですね。
ダ・ヴィンチはフランソワ1世の居住に近いクロリュセ城を与えられ、亡くなるまでの3年間を過ごしました。
フランソワ1世からの寵愛は厚く、ダ・ヴィンチを最後に看取ったのはフランソワ1世だと言われています。
アングル《ダ・ヴィンチの死を悼むフランソワ1世》アングル《ダ・ヴィンチの死を悼むフランソワ1世》1818年
ダ・ヴィンチはフランソワ1世に抱かれてながら亡くなったという逸話が残っています。
数多くいる寵姫でも、国王にここまでされた人はいません。
ダ・ヴィンチの死後、彼のアイデアを生かしたシャンポワール城を築城します。

建築王と呼ばれ数々の名城を建てたフランソワ1世と天才ダ・ヴィンチの共同作品と呼べる美しく広大なお城です。

シャンポワール城の大きさは
5440ヘクタール、日本の山手線の内側と同じくらいの広大な敷地を持ち、城内には440個の部屋に、282基の暖炉があります。
上部に無数に聳え立つ圧巻の塔は、なんと煙突なんだとか、不思議な二重螺旋の階段が見どころのお城です。

 

シャンポワール城の公式サイトに動画があったので貼っておきますね。

フランソワ1世が持ち込んだダ・ヴィンチの美の遺伝子は現代のフランスにしっかり息づいているのでした

めでたしめでたし・・

なんて終わってもいいのですが、「大人」要素を補足しておきましょう。

このフランス国王。

無類の女好きとしても有名なのです(ノ∀`)タハー

フランソワ1世をフランス国王にした女性

フランソワ1世は名門の生まれながら、国王になれるほど王位継承権は高くはありませんでした。

彼が国王になれたのは最初の結婚でクロード・ド・フランスを妻にしたからにほかならないんです。

簡単な家系図を書いてみました

ヴァロア家直系のシャルル8世が28歳で事故死。

子どもがいなかったことで、姉ジャンヌの夫で従兄のルイ12世が王位につきます。

そのジャンヌとルイ12世の娘がクロード・ド・フランス。

そして、そのクロードと結婚したのがフランソワ1世。

父であるルイ12世は明らかに野心を持ってクロードと結婚したフランソワ1世を警戒していたようですが、男子がいなかったこともあり、結局フランソワ1世が王位につきます。

じつはクロードの母ジャンヌにも手を出そうとしたみたいですが、相手にされなかったとかwww

クロードと娘たち カトリーヌ・ド・メディシスの時祷書から

クロードと娘たち カトリーヌ・ド・メディシスの時祷書から

クロード王妃は15歳で結婚して休む間もなく8人の子どもを生みましたが、容姿淡麗でなかったことと真面目な性格だったことで、派手好きなフランソワ1世の愛情は他の愛人たちに注がれていたようです。

もともと体が弱かったことに加えて、度重なる妊娠が負担となり25歳の若さで亡くなりました。

クロードはフランソワ1世の最初の妻ってことでサンドニ大聖堂に2人一緒に眠っていますが、お互いにそれほど嬉しくないんだろうなぁ(´^`;)

鳥籠に閉じ込められた美女

フランソワーズ・ド・フォア

フランソワ1世のたくさんいる愛妾たちの中でも、もっとも長く寵愛を受け公式愛妾になったのがフランソワーズ・ド・フォア(シャトーブリアン伯爵夫人)

ただ、彼女は人妻でした。

10歳の時にシャトーブリアン伯爵に見染められて、教育を施すという名目で拉致監禁、12歳で長女を生みます。

正式に結婚したのはフランソワーズが14歳になってからでした。

 

館長
館長

いったい何の教育をしていたんでしょうかっ!!

シャトーブリアン伯爵は嫉妬深い性格で、フランソワーズを社交界にも参加させず、城の中に閉じ込めてほとんど表にはださなかったんだとか!

それもそのはず、フランソワーズは素晴らしい肉体をお持ちだったようで、フランソワーズを見た殿方はもれなく体にとある変化をもたらしたという記録まで残っています。

かなりなセクシーな魔性系美女だったようです。

ビー玉
ビー玉

そりゃぁ閉じ込めないと危険だわ

そんな鳥籠に閉じ込められた深窓のセクシー美女の噂を聞きつけたフランソワ1世は夫を騙す形でフランソワーズを城に招き、ちゃっかり自分の愛妾にしてしまいます。

ただ、出会ってから3年間は貞操を守ったんだとか、それは夫に操をたてていたというよりも彼女の計算だったようです。

案の定、フランソワ1世はなかなか手に入らない彼女に夢中になり、公式な愛妾とします。

公式愛妾になると王妃につぐ権利を得ます。

そのことで、彼女の一族(夫も含む)はかなり手厚い待遇を受けていたようです。

ただ・・・フランソワ1世の母后ルイーズ・ド・サヴォワには嫌われていたようで、激しい嫁(愛人)姑バトルがあったようですよ(((;꒪ꈊ꒪;))):

敵国の美女

当時は、スペインと神聖ローマという2大ハプスブルグ帝国に挟まれていたフランスは、イタリアを手中に収めようと、何度も戦いを仕掛けます。

国内で大人しくしておけばいいものを、フランソワ1世は戦争の前線に立ち、こともあろうか捉えられて国王自ら捕虜にされちゃうんですよね(^▽^;)

そこで出会ったのがスペインと神聖ローマ帝国の皇帝であった永遠の宿敵カルロス1世の妹レオノール・デ・アウストリアです。

ヨース・ファン・クレーフェ《レオノール・デ・アウストリア》

ヨース・ファン・クレーフェ《レオノール・デ・アウストリア》

レオノールは悪名高いイングランドのヘンリー8世やポーランドの王から求愛を受けるほどの美女。

肖像画が美女に見えなくても美女です(`・ω・´)キリッ

ビー玉
ビー玉

もしヘンリー8世の求愛を受けていたら、処刑されてたかも

そんなレオノールを口説き落として2人は婚約しちゃうんですよ!

館長
館長

転んでもただでは起きない男ですね

なのに、息子2人を人質にして自分はちゃっかり祖国に帰ってしまう自由さ(―‘`―;)

そして、祖国には新たな女性の影が・・・

母が放った刺客

公式愛妾のフランソワーズのことが大嫌いだった母后ルイーズ・ド・サヴォワ

母后は息子の性格がよくわかっていたようで、息子好みの女性を自分の侍女を迎え、息子の目に入るようにしていたんです。

それがアンヌ・ド・ピスルー・デイリー

コルネリス・デ・リヨンに帰属《アンヌ・ド・ピスルー・デイリーの肖像》コルネリス・デ・リヨンに帰属《アンヌ・ド・ピスルー・デイリーの肖像》

彼女は見事な金髪を持った朗らかで華やかな女性でした。

まさにフランソワ1性のストレートど真ん中!

息子フランソワ1世は母の思惑通り、彼女に夢中になります。

10年連れ添った公式愛妾フランソワーズをあっけなく夫の元に戻し、アンヌを公式愛妾として迎えます。

その寵愛はフランソワ1世がなくなるまで20年以上も続いたそうです。

さすがお母様、息子の好みをよくわかってらっしゃる(((uдu*)ゥンゥン

捕虜時代に結婚を約束した神聖ローマ帝国カルロス1世の妹レオノールを正式に王妃として迎え入れる際も隣にいたのはアンヌだったそうです。

ビー玉
ビー玉

なんか腹立つぞっっ

ただ、派手な女性関係のせいで梅毒に冒されたフランソワ1世が亡くなったあとは、城を追い出されて寂しい最後を迎えたそうですけどね。

フランソワ1世がフランス宮廷にもたらしたもの

こんなカオスな宮廷愛憎劇を繰り広げ「私のかわいい仲間」と呼ばれたハーレムを形成していたフランソワ1世。

彼がフランスにもたらした影響は《モナ・リザ》だけではないんです。

それまで城の奥深く、もしくは修道院にしかいなかった女性をお城の表舞台に連れ出し、重く暗かったお城を華麗で恋の駆け引きと快楽がうずめく明るい場所にかえました。

私たちが知ってるアムールと絢爛豪華なフランス宮廷文化は、彼がもたらしたものだったんです。

誰もが恐れたスペインおよび神聖ローマ皇帝のカルロス1世に果敢に挑み戦場に赴いた騎士としてのフランソワ1世・・・

女好きのヤバい男ですが、やっぱりかっこいいなぁって思っちゃうんですよね(^▽^;)ハハハ

本日は以上です。最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

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週一の開館を目指しています。

また来週のご来館をお待ちしております。

 

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コメント

  1. ( ̄。 ̄)ホーーォ なかなか自由な人生を歩んでおりますな。男としては羨ましス。あとで、しっぺ返しがありそうやけども。

  2. Nick Ollie より:

    ダ・ヴィンチがフランスで亡くなったとは知りませんでした。モナリザがフランスにいる理由も分かったわ。

    芸術を育てるような国王は、やっぱり女性も大好きなのねー。それって共通項だな。

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