観る人によって印象が変わる絵画の謎!あなたはハマスホイのシンプルすぎる絵画に何を感じますか?

20世紀美術

こんばんは、大人の美術館ナビゲーターのビー玉(@beedama_lab)です。

ある人は不安を感じ、ある人は安らぎを感じる。

同じ絵を見ても人によって全く違う感想を抱く不思議な画家がいます。

「北欧のフェルメール」と呼ばれ室内画を得意としたデンマークの画家ハマスホイです。

彼の絵を見て嫌な感情を抱いたとしても、なぜか何度も見たくなるのは何故なのか?

本日はそんな不思議な魅力に溢れた画家ハマスホイの人生に迫ってみたいと思います。

あたなは彼の絵に何を感じるのか?不安か癒しか?

よろしければ、最後までお付き合いください。

 

ハマスホイってどんな画家?

ヴェルへルム・ハマスホイ『自画像』1895年

2008年に日本初のハマスホイ展が開催されました。当時日本では全く無名だったにも関わらず噂が噂を呼び人が人を呼び、最終的には18万人を動員するという日本美術界を揺るがす大事件に発展。

鑑賞した人が誰かを巻き込みたくなる中毒性こそがハマスホイの特徴。

そんなハマスホイとはどんな画家だったのか?

ハマスホイは1864年、デンマークのコペンハーゲンで裕福な商家の次男として生まれました。

両親は幼いハマスホイに絵の才能を見いだし、齢8歳のハマスホイに本格的に絵を学ばせます。

その実力は15歳でデンマーク王立アカデミーに入学を許可されたほどでした。

恩師ペーダー・セヴェリン・クロイヤーはハマスホイについてこんなことを語っています。

「奇妙は絵ばかりを描く生徒が一人いる。私には彼の絵は理解できないが、おそらく偉大な画家になるだろう。私は彼に影響を与えないように尽力する」

ちなみにこちらはクロイヤーの描いた『乾杯(スカーイェン芸術祭にて)』

陽光の下で楽しむ人々の歓声が聞こえてくるようです。

このような絵を描くクロイヤーが「理解できないけどスゴい」と言ったハマスホイが画壇デビューしたのは1885年。

美術史的には印象派の出現から10年後。光あふれる室外の風景、全く新しい表現方法に若い芸術家たちが盛り上がっていた時代です。

Hammershøi-Portrait-of-a-young-woman

ハマスホイ『若い女性の肖像、画家の妹アナ・ハマスホイ』1885年

 

館長
館長

なんともシンプル

ビー玉
ビー玉

はっきり地味だと言ってもいいんですよ

不気味なほどに限りなく色を抑えた絵画。

 

ビー玉
ビー玉

この絵をみて「理解できないけどスゴい」と言ったクロイヤーがスゴい

極限まで色を抑えたハマスホイの絵画は、デンマークの画壇からは「あまりにも地味」だと批判されます。

その反面、洗練されたシンプルさに熱狂した人たちも少なくはありませんでした。

西洋絵画というと、まるで余白恐怖症なのかと思うくらい画面いっぱいに何かしら埋め尽くすように描き込まれたものが多数ですからね。

そんな西洋絵画の情報量の多さに「疲れ」を感じる人も一定数いたのは頷けます。ハマスホイの絵は瞬く間に話題になりました。

ハマスホイに賞を与えるかどうかで母国デンマークが揺れている間に、フランス、イタリア、ドイツでの名声は上がってきます。

美術先進国では空間に美を見いだす日本美術が浸透していたのも理由じゃないかなと思っているんですが、どうでしょう。

ハマスホイは国内よりも先に国外で有名になり

恩師が予言した通り、デンマークの芸術界を揺るがす重要な画家となっていったんです。

1891年、ハマスホイは友人画家の妹だったイーダと結婚。

母や妹をモデルにして描いていたハマスホイですが、結婚後妻をモデルに起用して、室内のごくごく狭い世界を描くことが多くなります。

ハマスホイの絵に人々が魅了されるわけ

ハマスホイは「北欧のフェルメール」と言われますが、確かにフェルメールの「手紙シリーズ」と似ている作品も多数あります。

ハマスホイがフェルメールの絵に影響を受けているのは明らかですが、決定的にフェルメールと違うところがあります。

フェルメール『手紙を読む青衣の女』1662-63年

日本人に好まれるシンプルな絵ですけどね。それでもかなりな情報量があります。

女性の表情、壁にかけれた地図、ふたつの椅子、机の上の真珠のネックレスなど・・

彼女が誰からのどんな手紙を読んでいるのかのヒントがいくつも用意されていて、絵画を見ながら考察にふけることができます。

一方ハマスホイはといえば・・

ハマスホイ『手紙を読むイーダ』1900年

女性の表情からは何も読み取れず、真っ白な部屋からの情報量は極端に少ない。

だけど、消え入るように描かれたテーブルの椅子や開かれたドアには何か意味が隠れていそうで、素通りすることを許しません。

結果、答えらしきものを探して絵ではなく自分の深層世界に入っていくんですよ。

なので、ハマスホイの絵は鑑賞者の感情がもろに反映します。

人によっては不安だったり、不気味だったり

別の人にとっては安らぎだったり、温かみだったり

これが何気に気持ちいい

誰かに自分の気持ちを打ち明けて気持ちの整理ができたような爽快感があります。

これがハマスホイの中毒性、そして同じ絵を見ているのに人によって違う感想を抱くトリックなんじゃないかと思っています。

この効果をハマスホイが狙っていたかと聞かれると、それは違うと断言できます。

 

蝶の標本のように大切なものを閉じ込めた絵

ハマスホイ『室内 開いた扉、ストランゲーゼ30番地』1905年

私は古い家には、たとえそこに誰もいなかったとしても、独特の美しさがると思っています。

それは誰もいない時にこそ美しいのかもしれない

ヴェルヘルム・ハマスホイ

ハマスホイ『背を向けた女性のいるい室内』1903-04年

ハマスホイは数少ない友人と家族。狭い世界の中で自分が美しいと思うモノを描き続けていただけなんだと思います。

ハマスホイ『陽光(修作)』1906年

こちらの『陽光(修作)』に描かれたドアには取手がなく窓もくもっていて外がよく見えません。

現代の私達が見ると、行き場のない息苦しさを感じるかもしれません。

ハマスホイの祖国デンマークは常に情勢が不安定で、17世紀からは戦争に負け続けて国土も大きく変わり、先祖から大切にしてきたデンマーク文化も迷子状態。

ハマスホイが生まれた年には戦敗により国土の40%を失い、それにより国政も大きく変わりました。

目の前の世界や常識が目まぐるしく変わる中、ハマスホイは自分が大切にしている美しいモノを絵の中に永遠に閉じ込めたいと思っていたんじゃないかな。

ハマスホイの絵画は彼とっての大切なものを閉じ込めた、とびきり美しい蝶の標本のように見えます

平和な日本で暮らす私達からみると少々ストーカーチックではあるんですけどね(゚∇゚ ; )

ハマスホイ『イーゼルのある室内』1912年

北欧のフェルメールと呼ばれたハマスホイはフェルメール同様に、新しい芸術スタイルに埋もれ死後しばらくは人々から忘れられた画家となっていました。

ハマスホイが亡くなってから半世紀のち、今度は鑑賞者の心を反映する鏡、不思議な芸術家として人々の前に蘇りました。

恐れらくそれはハマスホイが狙っていたものとは違います。

ハマスホイが私達に問いかけるとしたら「この絵にどんな意味があるのか?」ではなく「あなたの本当に大切なものは何ですか?」なんだと思います。

完全に私の妄想ですけどね。

あなたはハマスホイの絵画に何を感じますか?

 

 

本日は以上です。お読みいただき、ありがとうございます。

またの来館を心よりお待ちしております。

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コメント

  1. Nick Ollie より:

    ハマスホイって画家、初めて知りました。どれも、とても静寂な感じがしますね。静かだー。好きかも。でも、クロイヤーの「乾杯」も楽しくて、全く違うけど好き。

    ビー玉ちゃんの書いているとおり、自分の好きなものだけを閉じ込めて描いたのかな、と思いました。

    • ビー玉 より:

      Nickちゃん、コメントありがとう(*゚▽゚)ノ
      私もどちらの絵の好き♪
      人間ってわいわい騒いで痛い時もあれば、好きなものに囲まれた空間で一人静かにぼんやりしていたい時もあるんでだよね(((uдu*)ゥンゥン

  2. ゴキブリホイホ…。( ゚д゚)ハッ!

    • ビー玉 より:

      ましゅーさん、コメントありがとう(*゚▽゚)ノ

      いや、コメントというか、ダジャレかwww

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