こんばんは!ナビゲーターのビー玉(@beedama_lab)です。
画家のインスピレーションをもっとも引き出すもの。
もちろん人によって違うと思いますが、やっぱり画家たちのインスピレーションの源は愛する人でしょう。
本日は画家が愛した恋人たちとその “濃い” すぎる “恋” のエピソードのを添えて名画を紹介します。
ダジャレを言いたかっただけですよね
甘い(?)恋人達の世界にあなたをナビゲートします。
よろしければ最後までお付き合いください。
修道女誘拐事件!フィリッポ・リッピ
《聖母子と二天使》1450〜1455年ごろ
描いたのはフィリッポ・リッピ
描かれているのは妻のルクレツィア
リッピはカトリックの修道士でルクレツィアは同じく修道女でした。
カトリックでは神に仕える者の結婚は許されていません。
なので、2人の結婚は駆け落ちでした。
きっと情熱的な恋に落ちたんだなと思うでしょうが・・・
当時、リッピは50歳でルクレツィアは23歳。しかもほぼ初対面。
すでに画家として認められていたリッピが「僕のモデルになってほしい」と誘い出し、ほぼ誘拐のような形でルクレツィアを連れ去りました。
もちろん性風紀に厳しい時代だったので死罪にもあたいする罪です。
ですが、リッピの描く宗教画があまりにも美しく、処刑するには惜しいってことで特別に還俗をゆるされて2人は結婚して子どもにも恵まれます。
「聖母子と二天使」はそんな妻と子がモデルです。
うら若き神に仕える乙女を誘拐するなんてリッピはとんでもない生臭坊主ですが、絵を見る限りルクレツィアは幸せそうです。
幸いリッピは画家として成功していて裕福でしたし(^▽^;)
当時は貧しさから自分に意思に関係なく修道院に預けれるケースが多かったので、ルクレツィアも望んで修道女になったのはなかったのかもしれません。
お金の苦労もなく子どもも持てたということは、けっして不幸なことではなかったんじゃないかなって思います。
リッピの女性関係に悩まされつつも2人は生涯添い遂げました。
小悪魔に翻弄されたダ・ヴィンチ
《洗礼者ヨハネ》1513〜1516年
描いたのは巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ
描かれたのは、その弟子サライ
洗礼者ヨハネとは、イエス・キリストの従兄弟であり、イエスの洗礼を行った人物です。
アトリビュートは十字架の杖と毛皮。
ダ・ヴィンチのこのヨハネもわかりにくいですが、十字架の杖を持ち、毛皮を着ています。
このヨハネのモデルを努めたのが、ダ・ヴィンチの弟子であり愛人でもあったと言われるサライ(男)です。
サライの本名はジャン・ジャコモ・カプロッティと言いましてサライはあだ名です。
salaino(サライーノ)の略で悪魔とか小悪魔という意味なのですが、とにかく素行の悪い弟子だったそうです。
でもまぁ、悪い子ほど可愛いいというのは時代を超えての世の常。
顔の好みだけで選んだとされるダ・ヴィンチの弟子の中でもとりわけ愛された弟子と言われています。
サライはダ・ヴィンチが最も大切にしていた「モナ・リザ」を生前贈与されたにもかかわらず、まだダ・ヴィンチが亡くなっていないうちにフランス王室に売却したという話しもあります※
(※西岡文彦著『二時間のモナ・リザ――謎の名画に全絵画史を読む』より)
冷静なイメージとは裏腹にサライには貢ぎまくってたようで、親近感w
気難しい天才と言われたダ・ヴィンチも美しい年下(28歳差)の恋人には弱々だったようですね。
ちなみにダ・ヴィンチの弟子の中で画家として名前をあげた人は誰1人いません(`・ω・´)キリッ
顔で選んじゃってますからねぇ
人生の女神と出会ったオディロン・ルドン
《目を閉じて》1890年
描いたのはオディロン・ルドン。
描かれたのは妻カミーユ。
ルドンは私の敬愛する画家のひとりなのですが、その絵画スタイルは人生の途中で半ばで180度変化します。
若い頃のルドンはノアール(黒)の画家と呼ばれ、漆黒の闇を描く画家でした。
それが40歳をすぎた頃から、輝く色彩の画家へと変貌を遂げます。
『笑う蜘蛛』1881年 | 『神秘的な対話』1896年 |
何が彼をそこまで変えたのかといえば、妻であるカミーユとの出会いです。
ルドンは生まれてから幼少期を親戚の家に預けられて育ちます。実家に戻ってからも兄だけを溺愛する母をただ目で追い見つめるだけの日々を過ごしていました。
ルドンの本名はベルトラン=ジャン・ルドン、じつはオディロンとは母の名前なんです。
どれほどルドンが母の愛を愛を乞うていたかがわかりますね。
そんなルドンの友達は動植物たちだけ。
大切な友達を細胞レベルで見つめ続け、モノクロのキャラクターたちを作り上げていきました。
なので、ルドンの黒は決して恐ろしいわけではなく愛情ある黒なんですけどね。
40歳の頃のカミーユと出会い、家族を得ることでルドンは色彩を手に入れます。
ルドンの色彩の世界は内から発光しているかのように明るいのです。
『目を閉じて』は、そんなルドンの転機となった作品です。
人生薔薇色じゃないけど、長らく想像の世界を見つめて生きていたルドンがカミーユの導きで色のある現実世界を見つめることが叶ったのでしょう。
結婚して10年ほどたったころのルドンの手紙にこんな一文があります。
「私は妻の中に運命の女神を見出した」
付き合い初めじゃなくて、10年たってからこんなことを言わせることのできる女性って素敵ですよね(* ̄∇ ̄*)
ストーカー体質のメンヘラ画家オスカー・ココシュカ
『風の花嫁』1913年
描いたのはオスカー・ココシュカ
描かれたのは魔性の女アルマ・マーラーとココシュカ自身。
アルマは作曲家のマーラの未亡人で、あらゆる芸術家たちと浮名を流した魔性の女。
そんなアルマに魅入られたのが近代オーストリアを代表する画家の一人ココシュカです。
奔放なアルマに嫉妬心と猜疑心を隠そうともしないココシュカ。
主に年上の芸術家たちと付き合ってきたアルマは自分に心酔する7歳も年下のココシュカが新鮮で可愛く感じていたんだと思います。
アルマはココシュカに「あなた傑作が描けたら結婚する」と、こんな提案をします。
そして本当に描いちゃったのが『風の花嫁』です。
どこに出しても納得の大傑作ではありありますが、アルマとの結婚は叶いませんでした。
ココシュカの干渉に耐えられなくなったアルマはココシュカの元を去ります。
アルマを繋ぎ止めようと勝手に戸籍を取りよせて結婚しようとしたり、別れた後はアルマの等身大の人形を作って連れ歩くなどという行き過ぎたストーカー行為を繰り返すココシュカ。
『風の花嫁』に描かれるココシュカはまるで老人のよう。
硬く組まれた手が自分を暴走をギリギリのところで引き止めようとしているように見え、なんととも切ない。
アルマとの関係が良好だったころはもっと明るい色合いで描かれていましが、悪化するにしたがって絵に不安を塗りこめたために、いつしか絵の具は厚さを増して少し動かしただけでも剥がれ落ちるほどになっていました。
今では所蔵するバーゼル美術館の門外不出の作品となっており、ココシュカのアルマへの気持ち同様永遠に動けず雁字搦め(がんじがらめ)になっています。
2人が別れてから数十年、70歳の誕生日を迎えたアルマの元に、一通の電報が届きます。
「いとしいアルマ。僕たちは「風の花嫁」の中で、永久に結ばれているのです」と・・・
ココシュカの愛は永遠なんですね
いや、「愛」とは違うような
思い出は官能的にフランチェスコ・アイエツ
《接吻》1859年
ここに描かれているは・・男女の恋愛だけでなく、赤い服を着た男性はイタリア、青い服を来た女性はフランスの擬人化で2人は周りの目を忍んでイタリア統一時に結ばれた密約プロンビエールの密約を比喩したものだと言われています。
国同士の結びつきにしては色っぽい絵ですけどね。
この絵はアイエツが70歳になったころの絵ですが、若いころの思い出を描いたものではないかとも言われています。
アイエツは隣家の主婦と不倫していて、最終的に旦那さんに不倫がバレて肩を刺されるという大修羅場を繰り広げることに!!
この『接吻』の2人もなにやら秘密めいたものを感じます。
絵の左奥にはなにやら不穏な影が近づいてきているよな・・
そしてキスする男の足は階段にかかっています。
キスに夢中になっていながら、なにがあればすぐにこの場を立ち去れる体勢を取っています。
若い頃の不倫体験を思い出して描いているのかもしれません。
アイエツの『接吻』は官能的で美しい。
歳を重ねてから思い出す若き日の思い出ほど美化されて現実よりもずっと美しいものはないもんなんですよね♪
このアイエツ、刺された肩の傷を直してくれたお医者さんの奥さんにも手をだしていたそうな・・ほかにもイロイロ
描かれた女性のモデルは一体誰なんでしょうね(゚∇゚ ; )
恋人たちの絵画とえいばこれ!グスタフ・クリムト
『接吻』1907-1908年
描いたのはグスタフ・クリムト
描かれたのはクリムト永遠の恋人エミーリエ(諸説あり)
クリムトのアトリエには耐えず半裸のモデルが何人もいて、結婚はしていませんが子どもも十数人いたと言われています。
そんな入れ替わり立ち代わりのモデルたちとは一線を画す存在がエミーリエです。
エミーリエはモデルたちと一緒に暮らすでもなく、クリムトとは27年も連れ添った人生のパートナー。
クリムトが死ぬ間際、最後の言葉は「エミーリエを呼んでくれ」でした。強い絆で結ばれていたんですね、
エミーリエとはプラトニックだという学者さんたちもいますが、私は「接吻」のモデルがエミーリエだとするなら、プラトニックはありえないと思っています。
クリムトとエミーリエの主なコミュニケーションツールは手紙。
そして逢瀬は毎年夏に一緒に過ごす避暑地だけという限定的なものでした。
おそらく他の女性たちがいない夏の短いひと時だだけ、濃密な関係を持っていたんじゃないかな?
『接吻」では幸せそうな恋人たちの足元は崖になっていて、恋の危うさを描いたものだと言われていますが・・・
危うくはあるけど、誰もに邪魔されてない2人だけの場所。夏に過ごす2人だけの避暑地はまさにこんな場所だったのではないかな?
そんなロマンティックな想像をさせてしまう素敵な絵です。
画家達の濃い恋の話しはいかがだったでしょうか?
本日は以上です。最後までお読みいただきありがとうございます。
また次のご来館をお待ちしております(*ˊᵕˋ*)੭
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恋というよりも割とガチにエロな本です(^▽^;)
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コメント
(((uдu*)ゥンゥン 鯉だけに、故意にな。
色のない世界から、色彩豊かな世界へと変わったルドン、素敵だわ(*´ω`*)
そんなふうに見える世界が変わるような出会い、してみたい!!
カラフルな世界からモノクロの世界へ←はごめんです( TДT)
美しい恋愛を描いたものもあるけど、ドロドロも多いなぁ。画家ってドロドロに陥る人が多い気がする。気のせい?