こんばんは、大人の美術館ナビゲーターのビー玉です。
強烈な個性を持って画家達の中には、特定の色により強烈な印象を与える特徴的な色を持っている画家がいます。
いつしかそんな色には画家の名前が付けられるようなっていったんです。
逆玉マスオさん画家のフェルメール、友人の死で世界が真っ青になっちゃったピカソ。
裸婦の肌にこだわりすぎた藤田やルノワールなどなど・・
本日はそんな印象的な色にまつわる絵画小咄です。
よろしければ最後までお付き合いください。
フェルメールブルー
フェルメール《真珠の耳飾りの少女》1665年マウリッツハイツ美術館所蔵
西洋絵画で “色” といえばフェルメールのブルーと連想するくらい有名なブルー。
だけど、この色はフェルメールが発明したのではなく、古くは6–7世紀に作られたアフガニスタンの寺院の洞窟画にも使用されており、別名ウルトラマリン。
原料は鉱石ラピスラズリ、当時はアフガニスタンの一部の地域でしか採掘されていなのかった貴重な石です。
鮮やかな青い石を砂のように細かく砕いて、ワックス、松ヤニ、油を混ぜて作られたウルトラマリンはかなりの高級品。
それまでは各式の高い宗教画にしか使うことが許されないような金よりも高価な顔料だったのです。
17世紀に活躍したフェルメールは市民ではありましたが、奥さんの実家はオランダのバブル景気の勢いにのたお金持ち。
なので、高価な顔料を贅沢に使うことができたんです。
フェルメール《牛乳を注ぐ女》1657年 アムステルダム国立美術館所蔵
当時、主役となる人物の服の色などに使うことが多かった高価なウルトラマリンを何気ない壁や家具などにも使っていたのはフェルメール意外に類をみません。
その美しい青はフェルメールの代名詞になったのは必然ですね。
ゴッホ・イエロー
ゴッホ《ひまわり》1665年 ノイエピナコテーク美術館所蔵
ゴッホといえば・・・黄色、イエローですよね!
ゴッホの愛したイエローはクロム酸鉛を主成分とする黄色の顔料「クロム・イエロー」と呼ばれるもので、少し赤みがあって明るく情熱的な色です。
ゴッホは新天地として移り住んだアルルで見た黄色について、弟テオにこんな手紙を書いています。
「この太陽、この光、どういえば良いのか、良い言葉が見つからない。ただ黄色、薄い
硫黄の黄色、薄い金色のレモンという他ない。この黄色が実に素晴らしい。
テオ(弟)、君がいつの日か南フランスの太陽を見て、僕と同じように感じてくれれば良いと思う。」
(ゴッホがテオに送った手紙より )
並々ならぬ黄色へのこだわりが見える手紙の内容。
ゴッホは感動したアルルの黄色を表すためにクロムイエローを使ったんです。
私たちはゴッホの絵をみて、ゴッホの感動したイエローという色を追体験しようとしますが、じつはクロムイエローは茶色く変色しやすい顔料なんです。
現存しているゴッホの絵も変色は避けられませんでした。
ゴッホがテオに見て欲しいといい、クロムイエローを使って表現しようとした色は、私たちがゴッホイエローと読んでいる色とは多分違う色なんだと思います。
ゴッホが感動した黄色ってどんな色だったんでしょうね。
フジタ・ホワイト
藤田嗣治《眠れる女》1931年 平野政吉美術館
フランスで活躍した日本人画家の藤田嗣治が生み出した「乳白色」という白は、本場フランスで絵の成功者へと藤田を引っ張り上げました。
藤田の白は実際に見ると、内から発光するような、闇夜に浮かぶ白い蝋燭のような幽玄さがあります。
藤田はこの白の作り方を誰にも教えず亡くなったので、製造方法は長らく謎とされてきました。
今世紀になってから、実は和光堂の『シッカロール(ベビーパウダー)』を下地に使っていたことがわかったんです。
意外と身近なものが成功の秘訣だったんですね!
私もシッカロールを使うと、藤田の裸婦のような光沢のある艶っぽい肌になれるんだろうか( ˙-˙ )?
ルノワールピンク
ルノワール《金髪の浴女》1881年 クラーク美術館
同じ裸婦でも藤田嗣治のラフとルノワールでは距離感が違うんですよねぇ
ルノワール裸婦はものすごく身近で、触るとプニっと柔らかいんじゃないかという錯覚を覚えます。
本当に血がかよってるんじゃないかと思われる肌の色は、極限まで薄く伸ばした絵の具を幾重にも重ねて表現されています。
ルノワールは肌に色を乗せるときは、豚の毛を使用した一般的な筆ではなく、貂(てん)の毛を使った柔らかい筆を使ったそです。
女性たちのピンクに色づいた肌はまるで丁寧にメイクを施すよう塗られた色だったんですねぇ。
美しくメイクさえた女性はみな幸せそうです。
ピカソブルーとピカソピンク
ピカソ《自画像》1901年 ピカソ美術館
ピカソといえば、横向きなんだか正面なんだかよくわからない抽象画のイメージが強いですが、時代によって画風はコロコロ変わっているんですよ。
それはもう別人レベルに変わります。
親友が自殺を遂げた直後は絵が全て真っ青になり、ピカソ青の時代なんて呼ばれています。
この時代のピカソは抽象画のイメージは全くありません。
じつはピカソの代名詞である抽象画よりも青の時代の絵は人気があったりするんです。
その頃に描かれた重く沈んだような青をピカソブルーと呼びます。
その後、恋人ができるやいなや、青へのこだわりはどこへやら、振り幅も大きく絵がピンクに染まります。
ピカソ《軽業師の家族と猿》1905年
スモーキーなピンクですが、青の時代よりは悲壮感は薄れて明るくなります。
ピカソ《パイプを持つ少年》1905年
この頃に描かれた絵をピカソバラ色の時代などと呼ばれています。
青の時代1901〜1904年
バラ色の時代1905〜1907年
短い期間で入れ変わっていますね。
なぜか彼女が全く途切れないないメンヘラ男子のよう
ちょっとニュアンス的に違うのでは?
長い西洋絵画史において、ピカソは間違いなくベスト5に入る天才だと思います。
天才って何者にも侵されない個性の持ち主というイメージがあるんですが、ピカソに関しては恋人が変わるたびに画風が一変して、明らかに影響受けすぎです(゚∇゚ ; )
ただね、影響を受けるというよりも自分の画風に限界を感じたころに環境を変えるように良いインスピレーションを与えてくれそうな女性を恋人にしてる気もなきしもあらず。
全てを暴力的に取り込んで進むブラックホールのようです。さすが美の巨人!
画家の名前を冠する色というだけあって、確かにそれぞれ印象深い!
色に関してのお話はこちらの記事をおすすめです。
●色から絵画を読みとく話
●色に関する怖い話
本日は以上です。
お楽しみいただけたでしょうか?
またのご来館をお待ちしております。
【参考にした本】
コメント
(^^ゞ 知ってるのは、フジタホワイトまででした。
この中だとフェルメールのウルトラマリンが最強かな。さすが石の力は素晴らしく、今も輝いていました。
そうか、やっぱりね。ゴッホのひまわりを初めて見た時、えっ?こんなにくすんだ色?って思ったんですよね。燃えるレモンのようでは無かった。クロームイエローは変色しやすいんだ。絵を描いている時、カドミウムとクロームイエローは舐めんなよ!って先生に注意されたっけ。無意識に舐める癖があったから(^0^;)
フジタホワイトがシッカロールをベースにしてたとは。ちょっと驚いた。和光堂、やるなぁー。
ピカソの画風が変わった理由が恋だとは、それも知らなかった。ブラックホールピカソ~♪