こんばんは!ナビゲーターのビー玉(@beedama_lab)です。
19世紀後半、科学が急速に発展する中、フロイトやユングは人間の深層真理を精神分析という学問によって解き明かそうという流れが生まれ、芸術では人の真相心理や見えないものに魅力を感じ内面世界を具現化しようとしたが『象徴主義』
彼らは女神や聖女の中に魔性ファム・ファタールを見つけるのです!
美術スタイルを擬人化してみました。
12〜15世紀 | ガチガチのお堅い優等生タイプのゴシック |
14〜16世紀 | 明るくエロを叫ぶオープンエロのルネサンス |
16世紀 | 私に近づくことは許さない!ドS女王様のマニエリスム |
16〜18世紀 | 過剰な愛情であなたを繋ぎ止めたいメンヘラバロック |
18世紀 | 楽しければいい♪盛り盛りギャルのロココ |
18〜19世紀 | 上下関係にやたらと厳しいモラハラ女子の新古典主義 |
19〜20世紀 | いつもで流行の最先端、意識高い系女子の印象派 |
19世紀 | いつもなにもないところを凝視している不思議女子の象徴派 |
20世紀 | 個性的にしか生きられない!藝大系女子の20世紀芸術 |
象徴主義は私の中では妄想強めの不思議ちゃん。
では、ファムファタールたちが闊歩する不思議で幻想的な抽象主義の世界にあなたをナビゲートします。
よろしければ最後までお付き合いください。
象徴主義とは何か
象徴主義はフランス語でsymbolismeサンボリスム。
印象派と同時期の19世紀の後半に活躍し、印象派の光の世界とは対局のどちらかといえば闇の世界を描いたのが象徴主義。
・何はなくともファム・ファタール(破滅に導く女)
・古典的な聖書や神話を独自解釈
・夢と幻想
一見すると、神話や聖書など古典的なテーマを扱いつつ、全く新しい解釈で目には見えない深い精神世界を描いた芸術スタイルです。
よくわからないと言う場合は、男を破滅へと導くファムファタール(魔性の女)好きの集まりだと覚えていただければ充分です( ✧Д✧) カッ
それが象徴主義、
それこそが象徴主義!
絵画としての象徴主義の先駆けとなったのはイギリスのロセッティ率いるラファエロ前派。
ロセッティ作 『プロセルビナ(一部)』
ラファエロ前派は神話の女神や聖女の聖母をまったく新しい解釈で描き、美術界に一石を投じて一時は政治犯にもされかねないほどの大騒ぎとなりました。
物騒な話ですけどね、宗教観が国政にまで染み渡っている西洋ならでは(^▽^;)
象徴主義は原作(聖書・神話)のスピンオフ?
ルドン『笑う蜘蛛』
印象派の画家たちが外光に注目してキャンパスを持って郊外に出かけて行ったのに対して、象徴主義は室内どころか人間(特に女性)の内面、ルドンなどは細胞レベルまで内側に向かっていきます。
19世紀以前の絵画で聖書や神話を題材にしたものは、どれほど原作に忠実に描けるかが大切で、いうなれば超有名作品の完全映画化。全国一斉ロードショー!
象徴主義の絵画は、その映画のスピンオフでマニア受けする単館ロードショーってイメージで間違ってないと思う。
パッと見た感じは印象派の新しい画風に比べると古典的で古臭い感じはするんだけど、そこに描かれているものは、いままで誰も見たことがない幻想世界なのです。
象徴主義のサロメはどれほど新しかったのか
一番わかりやすいのは聖書の『サロメ』かな・・
カラヴァッジオ作 「サロメ」
聖書に描かれているサロメ は母に言われて洗礼者ヨハネの首を欲しただけの異常なまでに母に従順なだけの少女でした。
絵に描かれる時はヨハネの首を前にして、めっちゃ嫌がってるか全然興味なさそうなのかどっちかだったんです。
そんなサロメ を象徴主義の画家が描くと・・・
ギュスターヴ・モロー『出現』
サロメ が急に自分の意思でヨハネの首を欲しがるんですよ∑( ̄□ ̄;)ナント!!
突然のキャラ変!!
モローは従順な少女の内面に無邪気な欲望で異性を破滅へと導く魔性の女を発見したんです。
このヨハネの首は実際に見えているワケではなくて(私はヨハネが見ている未来のビジョンだと思っているんですが)目に見えない精神世界の駆け引きだったり葛藤だったりを表現しています。
この自由な解釈こそが、まさに象徴派!
サロメについて詳しくはこちら↓
象徴主義の画家
私はどんな絵が好き?と聞かれると「象徴主義」の絵と答えます。
こってりと暑苦しいバロック もキラキラと眩しい印象派も好きですが、どこか心に闇を抱えたようなだけどロマンティックで幻想的という象徴主義の画家たちの絵に惹かれてしまいます。
ビー玉さんの心も闇があるからじゃないですか?
うっ、否定はできない
まぁ、なにより意味深なテーマは妄想し放題。妄想好きにはたまらない要素盛り沢山なんです。
そんな私の大好きな象徴主義の画家たちは
ギュスターヴ・モロー(1826〜1898年)
ギュスターヴ・モロー作『オルフェウスの首を運ぶトレキアの娘』1865年
先ほどの斬新すぎる『サロメ』を誕生させて、世の中をファム・ファタールブームに火をつけた立役者です。
モローは資産家の家庭に生まれ、お金に困らないこともあり絵を酷評されると家に引きこもっちゃう癖がありました。
今みたいにSNSやネットゲームのない時代ですから、1人家に籠もって絵ばかり描いていると・・・
妄想炸裂でそりゃぁ個性的になりますよねぇ(^▽^;)
これまで誰も描けなかったような作品を次々に生み出します。
代表作である『オルフェウスの首を運ぶトレキアの娘』のトレキア(地名)の娘というキャラクターもオルフェウスの物語には出てこない架空の人物です。
オルフェウスはギリシャ神話に登場する琴の名手。
オルフェウスは愛妻を亡くしてから自暴自棄になり、自分ちょっかいを出してく熱狂的な女性ファンに対しても冷たい態度を取っていたんですが・・・可愛さ余って憎さ100倍って感じで女性たちから八つ裂きにされます。
トレキアの娘が拾い上げているのは惨殺されたオルフェウスの首。
そのオルフェウスの表情は穏やかで笑っているようにも見えます。
最後の最後に妻を手放した自責の念からの開放と、死んでやっと愛する妻に逢えるという安堵なのかなって、そんなオルフェウスを見つめるトレキアの娘の表情が柔らかくて聖母のよう・・・もしかしたら迎えにきた亡き妻なのではないのかなって私は思っております。
だって、ここで名も無い女性を登場さす意味ってない気がしませんか?
いいでしょ?ロマンチックでしょ?
本当に好き💕
「愛」と「死」がとても近いくて刹那的なのも象徴主義の特徴ですね(((uдu*)ゥンゥン
オディロン・ルドン(1840〜1916年)
オディロン・ルドン「笑う蜘蛛」
ちょっと不気味ですか(^▽^;)? すいませんっっ
だけど、可愛らしさも感じませんか?
ルドンは病弱だったこともあり、幼い頃に両親のもとを離れて親戚の家に預けられました。
そこで寂しさを紛らわせるために植物や虫たちを友だちに見立てて想像の中で遊んでいたんです。
画家になって黒一色で、当時の友人たちを描いたのがルドンの黒の時代です。
そんな「黒(ノアール)の画家」と呼ばれたルドンが50歳を超えてから結婚して息子に恵まれます。
その頃になってルドンは急に色彩に目覚めるんです。
ルドン『オフィーリア』
オフィーリアとはシェイクスピアの戯曲「ハムレット」に登場し、恋人の裏切りから精神を病み、小川で水死してしまう悲劇の少女です。
エヴァレット・ミレイのオフィーリアが有名ですが、ルドンのオフィーリアもいいでしょう(* ̄∇ ̄*)
ミレイのオフィーリアは死ぬ直前。
ルドンのオフィーリアはすでに亡くなってこの世ではないどこかの別世界風景に思えます。
影もなく白昼夢のような幻のような・・
西洋絵画で黄色というは裏切りの色なのですが、オフィーリアは恋人の裏切りという悲しみを静けさが優しく包み込むような絵です。
孤独だったルドン少年の孤独な気持ちに、家族を得ることで「色彩」という新しい世界が広がりました。
ルドンの回顧展に行くと、前半はこれでもかというくらいの大量の黒の世界が続き、急に世界が変わったように眩しいほどの色彩が溢れ出すんです。
私はルドンの黒の時代も大好きなんですけどね、それでも黒が続いたあとのルドンの色彩は気持ちが浄化されるような静かな気持ちになります。
日本では岐阜県美術館が世界有数のルドンコレクションを擁しています。
機会があったらぜひ観てもらいたいっっ!!
↓ルドンについて詳しく知りたい方はこちらも合わせて↓
フランツ・フォン・シュトゥック(1863-1928年)
フランツ・フォン・シュトゥック『罪』
フランスやイギリスの画家が描くファムファターるよりもさらに毒々しさを増すのがドイツの象徴主義の画家フランツ・フォン・シュトゥック。
この絵は、女性に絡みつき威嚇している蛇、タイトルの『罪』から、絵のテーマはアダムとイヴのイヴなんだろうなというのは想像つくんですが・・・
蛇の誘惑に負けて禁止されていた知恵の実を食べてしまった「誘惑に弱い女性」のイメージは微塵もありせん。
このイヴは蛇を操って知恵の実を食べて自分の意思でエデン(楽園)を出て行こうとしたに違いない!!
私は知恵の実というのは「子どもをつくること」ことだと思っているんですが、知恵の実を食べて1人では叶わないと悟ったイヴがアダムを巻き込んだんだとしたら「誘惑に弱い」「人類に原罪を背負わせたのは弱い女」というイメージが払拭されて気分いいのになぁなんて思ったりして。
誘惑されるのも悪くないですが、誘惑を待つよりも誘惑したいじゃないですか(ΦωΦ)フフフ…
ファム・ファタール願望ですか!!!
破滅なんてさせませんよっ!細く長k・・・自主規制
フランツ・フォン・シュトゥック
ドイツでフォンが付くのは貴族なんですが、シュトゥックは貧しい庶民の生まれです。
日本では知名度は低いですが、画力だけで貴族の称号を得るまで登りつめたやり手です。
32歳でミュンヘン美術院の教授となり、教子にはクレーやカンディンスキーがいて、画家としても指導者としてもドイツではとても高名な画家なのです。
象徴主義の画家は、他にゴーガンに続くナビ派、ロセッティに代表されてるラファエロ前派、ベルギーのクノップス、世紀末芸術とも呼ばれるクリムト、ベックリン、アンソールなどが含まれます。
まとめ
どうだったでしょう?ちょっと暗かったですか?
外光を求めて外に飛び出した印象派の画家たちと違って象徴主義の画家は内向的な人が多かったように思います。
それが悪いことではまったくなく、人間の内面を深く観察したために人の気持ちに深く突き刺さる絵をたくさん残せたのです。
そして面白いのが、象徴主義の画家たちは自分とはまったく違う画風を柔軟に肯定し、若い才能を見抜き、後世に名を残す個性的な画家をたくさん育てているんです。
これは人間観察に長けていたからこそでしょう。
私も人の本質を見ることができる人になりたいものです。
本日は以上です。お読みいただきありがとうございます。
大人の美術館は不適で真夜中にひっそり開館する秘密の仮想美術館です。
またの御来館をお待ちしております。SeeYou(*ˊᵕˋ*)੭
不思議女子の象徴主義 いつも何もないところを凝視してる。人の内面を覗くのが好き |
コメント
シュトゥックのイヴ、挑戦的な?誘惑的な?強い瞳だなー。これは罪はあまり感じてなさそうかな。
ミレイのオフィーリア、やっぱり好き。でもルドンのオフィーリアの方が優しそうな感じです。ルドンのオフィーリアは確かに死んでしまったあと、精神が解放された感じかな。
どSのマリエリスムについては何も知らないので、興味深い記事を待っています!
わたしも人の闇の部分が好きなので、姐さんの気持ちわかる気がします。
でもそれは自分の中にも闇があるからではなく、逆だと思うんですよね~
ないものねだりというか、自分にないものだから気になるというか(*´▽`*)(←ということにして自分を正当化するようにしている)
そして、女性を弱きものだと思っていないわたしとしては、フランツ・フォン・シュトゥック『罪』に対する姐さんの解釈・・・好きです(*´ω`*)
待ってました!象徴主義!大好物です。まぁ、でも若い頃は「かんべん!」って感じでした。何時かに、嫌いだったモローの絵が大好きになったのは(笑)
その世界に引きずり込まれたくなります。オフェーリアを渋谷で観た時は感激しました。ルドンも大好き。蜘蛛君、可愛いよね…って変態気味?(笑)
Ψ(`∀´)Ψケケケ 悪ましゅー。です。
は~い、心に闇持ちのmarimoです。
こういう絵を見ると安心するのは私だけ!?なんだか、きれいごとだけじゃなくていいんだよ、と言ってもらえてるような安心感^^
昔はこういう絵が苦手でした。やっぱり酸いも甘いも知ったこのお年頃にちょうど良いのかしら☆